労働経済学a 第11回 女性労働を考える

 

1.女性労働の増加は女性の地位向上ではない

                                      万人

                            (出所)「労働力調査」

 


2.女性労働の歴史

 

岩倉具栄 著 『戦時人口政策』 1941

 以前に比較して女子が労務者として活動する範囲が広くなったため、雇用条件の如何が出産力に及ぼす影響が甚大なので、女子の被雇者としての就業は二十歳を超えるものの就職は、なるべく抑制する方針を採りつつ、同時に婚姻を阻害するような雇用や就職条件を緩和し、改善する。

 

女性の参政権

 

アメリカ 1920

イギリス 1928

日本   1945

フランス 1945

 

ニッポン放送とフジテレビの女子定年年齢

 25歳(1970年代まで)

 

ウーマンリブ運動の歴史: History of feminism (Wikipedia英語版)

 

第一次世界大戦・第二次世界大戦の最中、若者の男性は戦場に駆り出され、主に女性が国内の生産現場を担っていた。第二次世界大戦が終了した1950年代になると、帰還兵の就職口を作るために現場で働いている女性たちが職を手放さなければならなかったが、多くの女性はその後も工場・農場・伝統的な女性職の領域で働き続けた。

戦争が引き起こした人手不足は女性の積極的労働参加を促し、「女性も男性と同じ仕事ができる」という、仕事における自信をもたらした。この女性の社会的自立が、のちのウーマンリブ運動の気運を高めたといえる。そしてベトナム戦争の反戦運動と共に、男社会に対する不満を抱えた女性たちによるウーマンリブ運動がアメリカ中を圧巻した。

伝統的な女性のイメージは根本から否定され、女性の労働が当たり前となり、それまで殆ど男子校同様だった大学で女子の入学が認められ、男性中心だった学問に女性学が導入された。ウーマンリブは反キリスト教運動も兼ねており、それまで禁止されていた女性の堕胎を認める法律ができた。

 

全共闘世代(日本でのウーマンリブの開祖)と女性労働フロンティアの開拓

 

 

男女雇用機会均等法(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律) 1986年施行 形式上は「勤労婦人福祉法」の改正

1999年改正により、募集・採用、配置・昇進、教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇において、男女差をつけることが禁止された。(それまでは努力義務)

 

男女共同参画社会とは、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」のこと。そしてこの理念を実現するために「男女共同参画社会基本法」が制定され、1999年(平成11年)623日に公布・施行された。

政府や都道府県、市町村に 男女共同参画部署が設置される

男女共同参画週間(毎年623日〜29日)

 

ポジティブ・アクション(positive action(Wikipedia

弱者集団、特に女性の職場環境の不利な現状を是正するための改善措置のこと。英語のアファーマティブ・アクション(Affirmative action, 肯定的措置)とポジティブ・ディスクリミネーション(Positive Discrimination, 肯定的差別)を組み合わせて造語した和製英語。外国ではこの場合の是正措置とは差別と貧困に悩む被差別集団の民族や人種やカーストの進学や就職や職場における昇進においての特別な採用枠の設置や試験点数の割り増しなどの直接の優遇措置を指す。日本においてはこのような施策は、日本国憲法第14条違反の可能性もあって、職場環境の改善措置が強調されている。

 

3.新自由主義と女性労働

 弱肉強食の経済体制のなかで、強い者だけが生き残る経済社会システムの下では、弱い立場の労働者は参加できない。

 

女性の社会進出と性別役割分業 (Wikipedia

女性の社会進出(賃金労働者化)が進み、共働き家庭が増えた一方で、女性と男性の家事・育児時間は共働き家庭で妻は4時間23分、夫は11分と大きな差がある。 この主な原因は、日本人男性の長い労働時間にある。スウェーデンでは午後6時には男性の70%以上が帰宅しているのに対して、日本では同時刻の男性の帰宅率は6%台に過ぎない。午後8時以降になってようやく日本人男性の帰宅率が60%を越えるのである。