経済社会学b 第5回 バブルはなぜ繰り返すのか

 

1 バブル発生のメカニズム

 バブルが何故発生するのか。そのメカニズムは表面的には極めて単純なものである。第一に、何か魅力的な投資の対象が注目される。第二に、それを買い求める人が増えて価格が上がる、第三に、価格が上がったために初期に投資をした人が値上がり益を得る。第四に、それを見ていた他の人々が同じような利益を得ようとして、あるいは今買わないともっと値が上がるという危機感から市場に参入する。第五に、二番目から四番目の現象が繰り返されるために、値上がりがさらに確実なものとなり、投機の輪が広がっていく、というものである。

 バブル経済というとすぐに土地と株が思い浮かぶが、必ずしもそうした資産だけが投機の対象となってきたわけではない。現実に、日本のバブル経済の時期にもゴルフの会員権や美術品、果てはブリキのおもちゃに至るまで様々な商品が投機の対象となり、大きな価格上昇がみられた。

 世界で初めてバブル投機の対象となった商品はもっと意外なものである。それは、チューリップの球根であった。十六世紀にヨーロッパにもたらされたチューリップはその美しさで人々を魅了し、しかも品種改良で、様々な変種を作り出すことが可能だったために、一六三○年代のオランダで巨大なブームを引き起こし、希少性のある品種の球根にはとんでもない価格がつけられるようになった。

 ガルブレイスの『バブルの物語』には、「一六三六年になると、それまでたいして価値があるとは思われなかったような一箇の球根が『新しい馬車一台、葦毛の馬二頭、そして馬具一式』と交換可能なほどになった」と書かれている。たかがチューリップの球根にそれだけの値段がつくということは、冷静になって考えれば誰でもおかしいと思うであろう。しかし、国中が「チューリップ、チューリップ」とわめきたて、夢中になっている状態では、誰もそんなことには気づかない。のちにチューリップ狂と呼ばれるこの事件は、オランダ人全体を巻き込んだ集団的な狂気だったのである。

 むろん、バブルには崩壊がつきものである。一九三七年には、チューリップ価格の暴落が始まった。価格のあまりの高騰に危険を感じた一部の投資家が、投資から手を引き始めると、売りが売りを誘い、やがてチューリップは普通の球根の値段に戻ったのである。借金を抱えてチューリップに投資していた人々は次々に破産に追い込まれていった。

 今でもオランダを美しく彩っているチューリップの花々が、実は十七世紀のバブルの「傷跡」であることを思うと、なにやら哀愁を禁じ得ないが、実はこうした馬鹿げた投機騒ぎは、決して遠い国だけの出来事ではない。我が国でも、馬鹿らしさにかけては決してチューリップ狂に劣らない投機事件が発生している。ウサギ投機である。

 明治五年頃、東京でウサギを買うことが大流行した。ブームのなかで珍種のウサギに高い値段がつきはじめたのは、チューリップ狂の場合と全く同じである。そこに注目したのが明治維新で武士階級を失った旧士族たちだった。ウサギの値段はまたたく間に上昇し、一羽で三○〜四○円に達したという。物価の統計がないので正確なことは言えないが、明治六年の米一石(一五○s)が四円八○銭。現在ではそれが四万円強なので、ウサギの値段は現在の価格に直すと、大ざっぱに三○万円〜四○万円ということになるだろう。それだけでも異常事態だが、さらに何倍にもウサギの値段が跳ね上がると人々は信じていたという。

 このウサギバブルは東京府がウサギを飼っている者に対して、一匹につき月一円のウサギ税をかけたことによって、あっけなく崩壊してしまった。日本のバブル経済期に土地投機を抑えるために地価税が導入されたが、ウサギ税はそれよりもはるかに重い課税だった。なにしろウサギ一匹飼っているだけで毎月今の価値で一万円もの税金を支払わなくてはならないのだ。その結果、ウサギはあっという間に殺され、ウサギ汁にされてしまったのである。

 こうした、バブルの話は古今東西にあふれている。ガルブレイスが前掲書の中で紹介している事例だけでも、以下のようなものがある。

 一七一六年にフランスで銀行設立の権利を与えられたスコットランド人、ジョン・ローが設立したロワイヤル銀行は、銀行券の発券権限を取得した。ローは、この銀行券で大量の政府債務の引き受けを行った。むろん、政府はその銀行券を出入りの業者への支払いにあてるから、放っておくと銀行券が市中にあふれ、その価値が下がりかねない。そこでローは、この銀行とは別に、ルイジアナの金鉱を発掘することを目的としたミシシッピ会社を設立した。ミシシッピ会社には、後に様々な貿易特権が与えられた。このミシシッピ会社の株式が公開されると、人々の金鉱発掘と利権に伴う高収益への期待によって、株価はうなぎ登りになった。ローは銀行券を発行し、市中に出回った銀行券をミシシッピ会社の株式を売却することで回収するという、銀行券の循環システムを完成したのである。

 ただしルイジアナの金鉱開発は実際には行われず、ロワイヤル銀行は銀行券の価値を裏付けとなる正貨も十分には持っていなかったため、この循環システムはやがて崩壊し、株式と銀行券の価値は暴落してしまった。

 同じ一七一○年代のイギリスでは、政府債務の引き受けと引き替えに南米との貿易独占権を与えられたサウスシーカンパニーの株式に対する投機が起こった。サウスシーカンパニーが与えられた「独占地域」はすでにスペインが貿易独占権を主張していた地域であり、貿易独占権はほとんど利用価値のないものであったのにもかかわらず、将来の莫大な利権を見込んだ多くの民衆が投機に走り、そして財産を失った。

 アメリカでは一九二○年代に二つの大きなバブルが起こっている。一つはフロリダの土地投機である。温暖で海に囲まれたフロリダは避寒地として現在でも人気が高い。その土地に投機が集中した。最盛期には数週間で地価が二倍になり、海岸から一○マイル以上も離れた土地でも「海岸沿い」の一等地として売買された。現地も見ないで土地を買うというところまで投機が過熱していたから、そんな詐欺が横行したのである。

 そしてもうひとつのバブルが、株式への投機である。一九二○年代のアメリカ経済は空前の活況にわいていた。その原因は石炭と蒸気をエネルギー源とする社会から石油と電力をエネルギー源とする社会への大きな技術転換であった。乗用車、家電製品という国民生活を豊かにする耐久消費財が爆発的な普及を果たし、その生産が従来型産業にも波及するという好循環をもたらした。

 また、第一次世界大戦で経済が疲弊していた欧州と比べて、戦争の被害がほとんどなかった米国は世界への供給基地という地位を築き、大幅な経常収支の黒字に支えられた余剰資金が旺盛な設備投資を支えていた。

 しかし、あまりに活発な設備投資によって、すでに一九二○年代後半には米国産業は供給力が過剰になりはじめていた。そこで、潤沢な余剰資金は株式市場に流入し、そのことによって株価が上昇し続けていた。米国の株価は、一九二五年から二九年までの四年間で、ほぼ三倍に上昇したのである。

 そして運命の一九二九年を迎える。一○月二四日の「暗黒の木曜日」、一○月二九日の「暗黒の火曜日」、二度にわたる暴落をきっかけに米国株価は急速に下落の勢いを強め、ダウ・ジョーンズ指数は一九二九年八月のピークと比較して、一九三二年六月には、ほぼ十分の一まで値を下げたのである。この株価大暴落をきっかけに、世界中が世界大恐慌の波にのみこまれていったのはご存じの通りである。

 こうした本格的なバブルでなくても、我々の身近に小さなバブルは頻繁に発生している。例えば、最近の経験では、一九九七年のたまごっちブームがある。単なるキーホルダー型の育成ゲームを手に入れるために行列ができ、投機目的で買い求める者が現れ、そしてフリーマーケットでは定価の十倍以上で取引された。魅力的なものが現れ、それに対して投機が行われて価格が上昇し、そのことがさらに多くの人々を惹きつける、という構造は、歴史を飾るバブル事件と全く変わらない。しかし、たまごっちブームと歴史上のバブル事件の間には決定的な違いがある。それは、バブル崩壊のあとに破産者が続出したかどうかである。

 たまごっちブームが終わって、破産する者はいなかったであろう。ところが、チューリップ狂事件でも、サウスシーバブルでも、当然一九二九年のニューヨーク株大暴落でも、破産者が続出した。

 バブルが崩壊するとなぜ破産者が続出するのか。ガルブレイスは人々を陶酔的熱狂(ユーフォリア)に追い込み、そして破産させる共通のメカニズムをいくつか指摘している。そのなかで重要と思われるのは、@「てこ」(レバレッジ)の存在、A人々を虜にする新奇性がありながら、その実態は旧来のものと変わらない投資対象(金融商品)、B値上がり、あるいは成長が確実に保証されると人々を思い込ませるもっともらしい理論の三点である。

 

てこの原理

 投資家が自分の投資資金の範囲内で投機を行っていれば被害は大きくならない。仮に投資対象の価格がゼロになってしまっても、投資資金の全てを失うだけですむからである。ところが、借金をして投資をすると、バブル崩壊の被害は格段に大きくなる。投資対象の価格が下落しても、借金は目減りしないからだ。

 具体例を使って考えてみよう。期初の段階で、Aさんが坪百万円の土地を百坪持っていたとしよう。Aさんの資産は一億円ということになる。ここで土地の価格が毎年二○%上昇していくと仮定しよう。一年後の地価は坪一二○万円、二年後の地価は一四四万円、その後複利で上がっていって、五年後には坪二四九万円になる。Aさんの資産額は二億五千万円、五年で二倍半になる。

 それだけ資産が増えれば何も問題がないようにも思うが、実はAさんにはもっと大きく資産を増やす方法がある。それは土地を担保に入れて借金をし、土地を買い増しすることである。

 期初の段階でAさんの土地資産額は一億円。担保の掛け目を八割とすると、Aさんは保有する地所を担保に八千万円の借金をすることができる。坪百万円だから、単純に考えるとAさんは八○坪の土地を買い増しできることになる。ところが、買い入れた土地にも担保の設定は可能だから、Aさんが購入可能な土地は八○坪よりずっと多い。

 計算方法は省くが、Aさんは自分の百坪の土地と新たに購入する土地を担保に、四百坪の土地を買い増しすることができる。土地の資産額は五億円で、借金が四億円となるから正味資産は一億円で、何もしないときと変わらない。しかし、百坪の土地を種に、五倍もの土地を保有することができる。これが「てこ」の原理である(図表1)。

 そして、このまま地価が上昇しなければ何も起きないのだが、一年経って地価が百万円から一二○万円まで上昇すると、再びてこの使用が可能になる。地価上昇によって担保余力が生ずるからだ。一年後にAさんは新たに四億円を借り増しし、三三三坪土地を購入することができる。

 このようにして借りられるだけ借り、それを土地に投資するということを繰り返していくと、五年後にAさんが保有する土地は当初の六四倍の六四三○坪、土地資産額は百六十倍の一六○億円に達する。正味資産でも三二億円と、何も投資をしなかった場合に比べて一三倍の資産形成ができる。いかに「てこ」の威力が壮絶かがお分かりになろう。

 これだけ資産を増やすことができるのであれば、てこを利用しない手はない。事実、地価が上昇を続ける限り、この資産形成の方法は常に有利なのだ。しかし、「てこ」を利用した資産形成には、一つだけ致命的な欠点がある。資産価格の下落に極めて弱いということだ。

 五年後、一六○億円の土地資産を持っている状態で、経済環境が悪化し地価が二割下がってしまったとしよう。Aさんの土地資産額は一二八億円に減少する。このときAさんの抱えている借金もちょうど一二八億円だから、Aさんの持つ正味資産はゼロになってしまうのだ。

 毎年二○%の地価上昇を五年間も続け、正味資産も当初の三二倍にまで増やしてきたのに、たった一度だけ、それも地価がたった二割下がっただけで、Aさんは無一文になってしまう。地価が二割以上下がれば、Aさんは破産である。

 しかも、表1をみていただければ明らかなように、この二割の地価下落が何年目にこようとAさんの破産は避けられないのだ。

 例えば二年後にAさんが保有する土地は二○億円、ここから地価が二割下がると一六億円となる。Aさんの借金も一六億円だから、この段階で地価が二割以上下落すると、やはりAさんは破産してしまうのだ。

 バブルの発生はゆっくりであっても、その終焉は、ガラスの城が崩れ落ちるように一瞬で崩壊してしまうというバブルの特質は、実はこのてこの原理によってもたらされた宿命なのである。

 なお、ここで示した例は、資産を担保とした借金が「てこ」の役割を果たしているが、「てこ」は必ずしも借金である必要はない。先に触れたフランスのロワイヤル銀行の例では、裏付けのない銀行券が「てこ」の役割を果たした。

 世界大恐慌前のニューヨーク株のバブルに関しては、株式購入の仕組み自体が「てこ」を作り出していた。侘美光彦『世界大恐慌』では、その事情を以下のように記している。

 

 なによりも注意しなければならないことは、この株式ブームがたんなる資金的バブルの高揚と崩壊として理解されるだけでは不十分であり、その背後に、それを必然化する、以下のような市場機構が存在した点であった。当時の株式市場における証券取引は、多くのばあい証券価格の二五%にあたる証拠金を現金で支払う(purchase on margin)だけで完了した。残りの四分の三は、購入者に対するブローカーの貸付になったから、その購入証券は、貸付担保として株式ブローカーに預託された。当然のことながら、配当やキャピタル・ゲインは購入者が取得した。しかし、当時の株式利回りは相対的に低率であった(歴史上はじめて、利廻りは短期金利よりも低くなった)ので、この貸付に対して支払うべき利子の方が株式配当の額よりも高いのが通常であった。それでも、株価がさらに上昇し、その株式の販売によって得られるキャピタル・ゲインの方が、配当収益よりも大きくなればなるほど、この証拠金取引は現実に利益あるものになったから、株式ブームが進展し、株価が上昇するにつれて、ますます証拠金取引が利用されていった。

 

 要するに、手持ち資金の四倍もの株式を、なんら面倒な手続きなしに買える仕組みが当時は存在したのである。投機は手持ち資金よりも大きな金額を投入すればするほど、儲けも大きくなる。相場が上がり続けているときには、それで誰も損はしない。しかし、四倍投資していれば、相場が下落したときの被害も四倍になるのだということに、ユーフォリアに陥った投資家は気づかないのである。

 

新奇性のある投資対象

 バブルに共通する第二の共通点は、目新しい投資物件が登場するということである。ただし、それには一つの重要な条件がついている。一見新しい投資物件であると同時に、その実態が旧来型の商品と本質的には何も変わらないということである。

 世界最初のバブルをおこしたオランダでは、チューリップ・バブルのおよそ百年後にヒアシンス・バブルが発生している。チューリップもヒヤシンスも、当時は新しく導入された新品種であった。その意味で新奇性があったことは事実であるが、それが投資の対象となるほどの新奇性ではないことは明らかであろう。チューリップもヒヤシンスも、ユリやスイセンと同じ単なる球根植物に過ぎないからである。

 ジョン・ローのロワイヤル銀行も、目新しく見えたのは、ルイジアナの金鉱を開発するミシシッピ会社の株式公開を銀行券の発行とセットしたことであった。裏付けを持たない銀行券の乱発という手法自体は、昔からある実に陳腐なものだったのである。

 イギリスで起こったサウスシーカンパニーの株式に対する投機は、株式自体が目新しい金融商品となった。サウスシーカンパニーの株式を買っておけば確実に儲かると民衆が信じ、誰も彼もが株式投資に熱中した。そのなかには、万有引力を発見したアイザック・ニュートンまで含まれていた。そして、サウスシーカンパニーの真似をした会社が次々に登場し、株式ブームに拍車をかけたのである。しかし、イギリスにおいては、株式自体は百年以上前から存在しており、株式自体が目新しい存在ではなく、新奇性は必ず儲かるという噂にあったのである。

 一九八○年代にアメリカで起こったM&Aブームも構造としては同じだ。買収予定先の企業の資産を担保として債券を発行し、それによって調達された資金をもとに買収を行うLBO(レバレッジ・バイ・アウト)は、金融上の革新としてもてはやされたが、その実態は単に自己資本に対して不釣り合いなほど多額の債券を発行することによって、信用力が劣るジャンクボンドを大量発行するということだけだった。

 金融商品というのは、色々と難しい名前が付けられていたり、仕組みが複雑だったりするので、一見新しい技術に基づいた魅力的な商品が登場したように思われがちである。しかし、デリバティブ全盛の現在に至るまで、画期的な金融上の発明というのはほとんどない。新しい金融商品というのは、ほとんどが今までの金融商品の仕組みの中に、ちょっとした味付けをしただけのものなのである。

 しかし、後に詳述するが、人々を虜にするためには、むしろその方が望ましい。ユーフォリアの形成のためには、片足はこれまでの現実に置いておき、半歩だけ未知の領域に足を踏み出すということが、何よりも重要なのである。

 

人々を強気にさせるもっともらしい理論

 バブルに共通する第三のポイントは、値上がり、あるいは成長が確実に保証されると人々を思い込ませるもっともらしい理論である。いくら人々が新しい物好きだと言っても大事な財産を投資するのだから、当然最初は不安を抱く。ところが、その時代、その時代の権威が、経済の成長ついて、あるいはもっと直接的に新しい金融商品の成長性に関して、明るい展望を述べれば、権威に弱い民衆は、それに同調してしまうのである。

 もっとも、権威が明るい展望を述べる以前に、金融バブルは、大衆を引きずり込んでしまう構造的要因を持っている。それは、金持ちの行動を大衆が肯定しやすいということだ。ガルブレイスは『バブルの物語』のなかで次のように言っている。

「あらゆる自由企業制約(古い用語では資本主義的)な態度においては、個人が所有もしくは関係する所得とか資産とかいう形での金が多ければ多いほど、彼の経済・社会観は深くしっかりしており、彼の頭脳の働きは機敏で鋭い、と考える強い傾向がある。金こそ資本主義的成功の尺度である。金が多ければ多いほど成功の度合いも大であり、その成功の土台となった知性もすぐれている、というわけだ。」

 カネをたくさん持っているほど、またカネに関する職業に携わっているほど、その人は頭がよいとされ、人々に尊敬の眼差しでみられるのである。実際には、その人にカネをもたらしたのは、運であったり、親の資産だったり、優秀なパートナーとの巡り会いであったり、様々なのであるが、人々はそうは思わない。ビジネスでの成功者の講演は多くの聴衆を集め、失敗者の講演には誰も集まらない。実際に得られる教訓は、失敗者の話からの方がずっと多いかもしれないのにである。だから、金持ち達や金融関係者がバブルのめり込んでいくと、大衆はそれが正しいと信じて、その後を追いかけてしまうのである。

 こうした状況に、バブルを援護する理論が加わる。例えば、一九八○年代のアメリカのバブルを支えたのは、減税と規制緩和によって供給力を拡大し、強いアメリカを実現するというサプライサイド・エコノミクスであった。最近でこそ、このレーガン政策は現在のアメリカの繁栄の基礎を築いたものとして評価されるケースが増えているが、当時のアメリカにレーガノミクスがもたらしたものは、強いドルに基づく膨大な貿易赤字と財政赤字という双子の赤字であった。そして強いアメリカにもたらされた高株価は八七年のブラックマンデーで崩壊するのである。

 また、最近のアメリカ経済の好調を説明する理論としてもてはやされているニューエコノミー論も、おそらくバブルを裏付ける理論に過ぎないと考えられる。「情報通信革命に支えられたアメリカ経済は、これまでの常識や景気循環が適用できない中長期的拡大過程に入っている」とするニューエコノミー論は、一見もっともらしいが、その実、具体的な理論構成など何もないのである。

 

抜け落ちた視点

 バブルがどのようなメカニズムで発生するのかについて、ガルブレイスが指摘した三つのポイント、すなわち@てこの存在、A一見新奇な金融商品、Bもっともらしい理論は、日本で起こったバブル現象を説明するのにも有効である。日本のバブル経済とこの三つのポイントがどのように関係しているのかは、後ほど詳しく取り上げるが、その前に、ガルブレイスの分析も含めてこれまでのバブル経済の分析において常に抜け落ちてきた視点を確認しておく必要がある。それは、なぜ一般大衆が正気を忘れて、危険な投機にのめり込んでしまったのかということである。いくら、わなが巧妙でも、民衆が正気であれば、全員が騙されることなどないはずだ。ましてや、これまでに発生したバブルは、後世からみれば馬鹿馬鹿しいほど他愛ない仕掛けに基づいている。わなを仕掛けた方だけでなく、かかった方にも何らかの問題はあるはずだ。

 犯罪学という学問分野がある。犯人は何を動機に、どうのように犯罪を行い、その結果何が起こったのか、という犯罪者の研究をする学問である。これまでのバブルの分析は政府や金融機関がどのように行動したのかという、いわばバブルを仕掛けた方の「犯罪学」であった。ところが、犯罪学に対して、被害者学という学問も存在する。研究者は非常に少ないが、犯罪というのは犯人と被害者があって成立する。どのような特質を持つ者がどのようにして被害者になっていくのかという研究も、犯罪学と同じくらい重要なのである。ましてやバブルの場合は、一般大衆の行動分析は不可欠である。なぜなら、バブル経済の場合、金融機関や政府が犯罪者で、民衆が被害者という単純な割り切りはできないからである。むしろバブルの張本人は、陶酔的熱狂に踊った民衆自身なのかもしれないのだ。

 

(出所)森永卓郎『バブルとデフレ』講談社現代新書

 


2 人はなぜ狂気に陥るのか

安楽と快楽

 人々がなぜユーフォリアに陥るのかについて、既存の経済学の分析は全く力を持たない。なぜなら経済学は、合理的経済人を前提に全ての分析の枠組みを組み立ててしまっているからだ。合理的経済人は常に正気であり、狂気にはなれないのである。

 ところが、人間は常に正気であるとは限らない。バブルはまさに人々が狂気に陥ったときに発生する。従って、バブル期の民衆行動を解明するには、狂気の分析が避けられないのだ。

 幸か不幸か、経済学者のなかにも、こうした狂気の分析に先鞭をつけた人物がいる。シトフスキーである。シトフスキーは『人間の喜びと経済的価値』という著書の中で、心理学や神経生理学の分野にまで踏み込んで人間の行動を分析し、そうした分析と経済学との融合を試みている。シトフスキーの分析は、思考実験の段階で、必ずしも学問として完全に体系化されたものではないが、既存の経済学では全く手の届かない分野に、多くの分析の手がかりを与えてくれている。

 シトフスキーの分析の中で最も重要な指摘は、人間の欲求には安楽と快楽があるという指摘である。

 人間は、受ける刺激が強すぎるのも、弱すぎるのも不快に感じる。例えば、音を考えてみよう。耳をつんざくばかりの大音響というのは不快である。家の周りで一日中道路工事をされていたら参ってしまう。しかし、かと言って、何も音がしないというのも不安なのである。音響関係の実験をする無響室という部屋がある。壁中に張り巡らされた吸音材によって全く反射音がしない。私はその部屋に入ったことがあるが、それこそ言いようのない不安がわき上がってくる。人間にとって、心地の良いのは川のせせらぎとか、小鳥のさえずりとか、適度な音量の音なのである。この適度な水準の刺激が「安楽」である。

 こうした安楽の水準は他の刺激でも同じである。光について言えば、全くの真っ暗闇も、まぶしすぎる日差しも、不快であり、適度な明るさが快適さを保証する。

 においでも同じだ。香水のにおいというのは適度な濃度だから快適な感情を与えるが、同じ成分で濃度を上げていくと、トイレのにおいと同じになってしまうのだそうだ。また、そこまで行かなくても、換気の悪い満員電車できつい香水をつけた人が隣にいるだけで、不快な経験をした人は多いはずである。

 このような適度な刺激の水準、すなわち安楽を人間は求めている。既存の経済学はこの安楽を追求する人間の行動を説明するのに十分な枠組みを与えてくれる。何もかもが満ち足りて程良い水準に保たれている生活。それは、すばらしいことに違いない。

 しかし、人間の欲求は、安楽だけではない。安楽よりも、もっとずっと人間を虜にする欲求がある。それが快楽である。

 安楽が一定レベルの刺激の水準であるのに対して、快楽は刺激量の変化である。例えば、真夏の暑いグラウンドで運動をして、喉がカラカラに乾いたあと、冷房のきいた部屋に入って冷たいビールをぐいっと飲む。こんなにうまいものはない。

 トイレがなくて、我慢に我慢を重ねた小便をアサガオに向かって一気に放出する。これも快楽だ。

 たばこを吸わない人には分からないかもしれないが、高い山に登って頂上を征服し、雄大な景色を眺めながら、きれいな空気のなかで一服したときのたばこの味は、どんな高級料理店の料理よりもはるかに旨い。肺細胞の一つ一つが味覚をもったような錯覚さえ覚えるのだ。

 これらの快楽は、不快な状態から安楽の状態への刺激水準の変化の過程でもたらされている。真夏の暑さ、小便の我慢、山登りの辛さ、これらの不快が解消される過程が快楽なのだ。だから、快楽の前には不快がなければならないし、刺激の水準変化だからこそ快楽は長続きしないのである(図表2)。

 また、快楽は必ずしも、不快な状態から安楽に向かう過程だけで発生するものではない。人は、あえて不快を求めることもあるのだ。

 例えば、遊園地である。ジェットコースターやお化け屋敷で得られる恐怖は、明らかに不快である。さんざん怖い目を見て、施設からでてきたときのほっとした瞬間はもちろん快楽だが、ジェットコースターに振り回されているとき、あるいはお化け屋敷で悲鳴をあげているときも、実は快楽を感じている。安楽から不快へと向かう変化も快楽なのである。

 同じ遊園地の施設でもメリーゴーランドやおとぎ電車のたぐいは、快楽よりも安楽を与える施設である。そして、安楽よりも快楽が人々を支配するという事実は、メリーゴーランドやおとぎ電車よりもジェットコースターやお化け屋敷の方が圧倒的に人気が高いということからも理解できるであろう。

 

恋愛の快楽

 安楽よりも快楽を追求したいという人間の奇妙な性は、我々の生活の様々な場面でみられる。最初の例として適当かどうかわからないが、悪女が男を虜にするプロセスというのも、快楽の仕組みを巧みに利用したものになっている。

 大抵の男は、それほど自分に自信など持っていないから、積極的に悪女に手をだそうなどと思ってはいない。ところが、パーティの席やちょっとした会食の席で、ちょこまかと料理を取り分けたりして、悪女はかいがいしく働くのである。

「お高く止まっているようにみえるけど案外家庭的なんだな」と男は思う。その段階で、悪女は優しく親しみのある語り口で、男に声をかけてくるのだ。これで舞い上がらない男はほとんどいない。そして、おつき合いが始まる。

 男にとっての安楽にむかう日々が始まる。何もが新鮮で、楽しい。しかし、最初のときめきは次第に薄れ、段々と男が増長してくる。さらなる刺激を求めて、色々なことを悪女に要求し始めるのだ。そして、男の増長が、ピークに達したとき、悪女はこう切り出す。「最近、あなた変わったわね。私たち、もう終わりにした方がいいと思うの」。

 舞い上がっていた男は意気消沈し、会えない日々が続く中で、自暴自棄になっていく。そして、こんな苦しい日々が続くのであれば、いっそのこと全てを忘れてしまおうと決意する。

 ところが、男がまさに崖っぷちから飛び降りようとする直前に、悪女は突然聖母のような優しさで男を包み込むのだ。「あたしにも、悪いところはあったわ。もう一度やり直しましょう」。男は再び舞い上がり始める。

 ここまでをワンセットにして、悪女はこのプロセスを何回も何回も繰り返すのだ。そして、この焼き入れ焼き鈍しのプロセスを繰り返すことによって、やがて男は悪女からどうしても離れられなくなってしまう。ちょうど蟻地獄に落ちた蟻のように。

 ただし、今述べた焼き入れ焼き鈍しは、最もサイクルの長いものである。実際にはもっとサイクルの短い焼き入れ焼き鈍しが、これに組み合わされる。デートの約束を土壇場でキャンセルする、約束の時間に遅れる、ちょっとした行為が引き起こす不安と、不安の解消もまた、男に快楽を与えるのである。

 また、焼き入れ焼き鈍しには重要な必要条件がある。それは、焼き入れ焼き鈍しが定期的な循環であってはならないということだ。もし、定期的に焼き入れ焼き鈍しが行われると、先が読めてしまう。先が見えてしまえば、男に不安も生じないし、聖母のような救いの手のありがたみも減ってしまう。

 むしろ、一度崖っぷちから救っておけば、次からは必ずしも救いに行かなくても、男は崖から飛び降りたりしないのだ。

 シトフスキーは、こんな心理学者による実験を紹介している。ボタンを押すとエサの固まりが出てくる装置を作る。ネズミがボタンを押して出てきたエサを食べた後、今度はボタンを押してもエサがでないように装置の設定を変える。ところが、一旦エサの味をしめたネズミは、エサが出なくなったにもかかわらず、五○回もボタンを押し続けたのだそうだ。パチンコで一度フィーバーを経験してしまうと、その後フィーバーがでなくても、性懲りもなく何回もパチンコ店に足を運んでしまうのと同じである。

 しかも、このネズミの実験の興味深いのは、その後に拡張された二つの実験である。ボタンを押し続けるというネズミの習慣は、一度だけエサが出るという実験をしたときよりも、エサが出る、エサがでないということを定期的に繰り返した方が強く形成されると言う。そして、最も強い習慣が形成されるのは、エサが出る、エサがでないということをランダムに繰り返した時なのだそうだ。

 思いもかけぬ不安と安心、それこそが強い快楽をもたらすというのは、ネズミにも通じる一般原理なのである。悪女は例外なく気まぐれだという法則も、ここから生まれているのだ。

 

笑いの快楽

 刺激レベルの変化、あるいは不安と安心の交錯による快楽は、笑いの世界にもみられる。人はなぜ笑うのか。何が起こると人は可笑しいと感じるのか。そのことに関するまじめな研究は、これまであまりなかった。

 ところが、落語の「落ち」を素材に、笑いの構造を解明した人がいる。神戸大学出身で、上方落語会きってのインテリと言われる桂枝雀である。

 枝雀が分類を行う前に行われていた落ちの分類は、仕草落ち、仕込み落ち、ぶっつけ落ち、考え落ち、地口落ちといったものだった。仕草落ちは落語家の仕草が落ちになるもの、仕込み落ちは噺のなかに予め落ちの言葉を仕込んでおくものといったように、従前の分類は落語家がどのように落ちを設定するのかという、いわば供給側の論理による分類だった。

 枝雀が行った革命は、その分類を需要側の論理で、すなわちお客さんがなぜ笑うのかという視点から行ったことである。彼は、落ちを@「ドンデン」、A「謎解き」、B「へん」、C「合わせ」の四つに分類し、代表的な上方落語、東京落語の噺の落ちが、この四つのいずれかに必ず分類されることを証明したのである。『らくごDE枝雀』において、枝雀が挙げた事例とともに、この四分類の中身をみていこう。

 第一の「ドンデン」は、ドンデン返しのことである。最後の最後に聞き手の思いも寄らないところに噺を急転回させて笑わせるというものだ。『愛宕山』という落語では、旦那が谷底にばらまいた小判を幇間(ほうかん;旦那の機嫌をとり、興をそえる男)が拾いにいく。ところがなかなか谷底から戻れない。苦労のあげくに竹のバネを利用して幇間が飛び上がってくる。旦那がその工夫をほめた後、カネはどうしたと聞くと、幇間が「忘れてきたァ」と答える。小判を拾うのが本来の目的だったのに、谷底から戻ることに夢中になって、それを忘れていたという意外性が笑いを誘うのである。

 第二の「謎解き」は、噺のなかで発生した聞き手の疑問が、落ちのところで氷解するというものである。『皿屋敷』という落語では、皿を割って当主に殺されたお菊さんの幽霊が毎晩井戸から出てきて、「一枚、二枚、……」と皿の数を数える。九枚目まで数えたところで悲鳴を上げるというのがいつものパターンなのだが、ある日いつもの倍の十八枚も数をよんだ。なぜ、そんなに数をよむのと尋ねると、「二日分よんどいて、明日の晩やすみまんねん」とお菊さんが答えるというのが落ちになっている。お菊さんの「異常行動」という聞き手にとっての不安が、落ちの解説で解消されるというのが「謎解き」のパターンなのだ。

 第三の「へん」は、噺の最後に聞き手が「そんな馬鹿な」と思うところに話を持っていく。上方漫才で、最後に「いい加減にしなさい」とつっこんで終わるのと同じ、上方の代表的な笑いのパターンである。『池田の猪買い』では、猟師から仕留めた猪を買おうとする男が、猪が本当に新しいのか、疑い深く聞く。怒った猟師が銃の台尻で猪と突くと、猪が起きあがって歩き始めた。猟師が「どうじゃ客人、あのとおり新しい」というので落ちになる。新しいのかどうかを聞いているのに、猪が生きていたと言うところが「そんな馬鹿な」という笑いを誘うのだ。

 第四の「合わせ」は、全く無関係と思われる事象を人為的に合わせることで、聞き手に「やったな」という笑いを巻き起こすのだ。『蔵丁稚』という噺では、仕事をさぼって『仮名手本忠臣蔵』を見に行ったのがバレて、丁稚が蔵の中に閉じこめられる。丁稚は懲りもせずに、蔵の中で見てきた芝居の真似を始める。そこへ、旦那がおひつを持ってやってきて、旦那が「御膳」。丁稚が「蔵の内か」。旦那が「ハハーッ」。丁稚が「待ちかねた」、というところで落ちとなる。蔵に飯を差し入れにくるときの会話と、芝居のなかでの由良助と判官の会話が「合わせ」られているのだ。

 さて、枝雀はこの四つの分類それぞれの位置づけを明らかにする統一理論を提示している。図表3で太線の間に挟まれた色の濃い部分の領域が「ホンマ領域」で、ここのなかでの話は、常識の範囲内となる。ホンマ領域の中心に「合わせ領域」が存在する。人為的に二つの話題を合わせるのだから、ある意味ではウソの領域なのだが、聞き手が不安に感じるか、安心と感じるかと言えば、話題がぴったり合うのだから、明らかに安心の領域ということになる。

 ホンマ領域のすぐ外には、「離れ領域」が存在する。常識の枠外に飛び出した話で、聞き手は不安を感じる。「そんな馬鹿な!」の世界である。

 さて、このような定義を行うと、四つの落ちの分類は、次のような位置づけを与えられることになる。

@「ドンデン」の落ちは、ホンマ領域から一旦合わせ領域の方へ近づいていく。聞き手がなんだそうかという安心感を持ち始めた瞬間に話を切り返して、離れ領域の方に方向転換させるのだ

A「謎解き」の落ちは、ちょうどドンデンと逆になる。ホンマ領域を走ってきた噺が、一旦離れ領域の方へ脱線する。聞き手が一体何が起こったのだろうと不安に思ったところで、その謎を解き明かし、安心感を与えるのだ。

B「へん」の落ちは、ドンデンと同じ離れ領域への変化が落ちになるのだが、違っているのは、落ちの直前に合わせ方向への変化がなく、直接離れ領域に飛んでいってしまうことである。

C「合わせ」の落ちは、ちょうど「へん」の裏返しで、ホンマ領域を走ってきた噺がいきなり離れ領域に飛んでいってしまうという落ちだ。

 実際に落語を聞く人は、落ちの部分だけで笑っているわけではない。しかし、この四分類で、噺のなかに組み込まれた無数のネタを全て分類することが可能である。

 そして、この枝雀理論で最も重要なことは、全ての笑いが、ホンマ領域、離れ領域、合わせ領域の間の変化として捉えられているということなのである。

 なぜなら、このことは、シトフスキーが「快楽は刺激の水準変化である」としたことと完全に一致しているからである。唯一の違いは、シトフスキーの分類では、安楽を挟んで刺激の大きすぎる状態と、刺激の小さすぎる状態という二つの「不快」の分野があったのに対して、枝雀理論ではどちらも「不安」に一括りにされているという点だけである。もしかすると、落ちの分類もこの刺激の大小の視点を加えれば、もう少し詳しい分類が可能になるのかもしれない。

 いずれにせよ、落語家という商売は、噺によって聞き手に不安と安心を交互に与え、そのことによって聞き手の快楽を創出する商売だと言うことができるのである。

 

その他の快楽

 刺激の水準の変化によって快楽が得られるということは、ここまでに触れてきた恋愛や笑いの世界だけに限らない。

 例えば、ドラマの世界である。水戸黄門のテレビドラマのなかでは、かならず悪代官のような不届き者が庶民をいじめている。視聴者は、その理不尽さに怒りを覚える。その怒りが頂点に達した時点で、助さん格さんが現れ、懐から印籠を取り出してこう言う。「ここにおわすを誰と心得る。先の副将軍、水戸光圀公なるぞ」。そこで、悪代官は青ざめながら黄門様にひれ伏す。話の展開は必ずこうなるのがわかっていながら、視聴者はそうなることを喜ぶ。

 ドラマや小説は、自分では体験できないような他人の人生に入り込み、その人生を堪能することに楽しみがあると言われる。しかし、例えば水戸黄門のドラマで、水戸黄門が「水戸光圀」という名札をつけて歩いていたり、助さん格さんが「この人は水戸光圀ですよ」と言って回っていて、みなが本来の秩序を最初から保っている。そのため、何の事件も起こらない。そんな水戸黄門は、全く面白くないだろう。まさに、人生楽ありゃ苦もあるさでないと駄目なのである。

 ホームドラマでも、家族全員が健康で、皆が優しくて、お父さんの仕事は順風満帆、子供たちは学業優秀、朝から晩まで笑いの絶えない明るい家庭に平和な日々が続く。本来なら一番体験したいのはこんな絵に描いたような幸せな家族のはずだが、こんなドラマを喜ぶ視聴者はどこにもいないのである。ドラマに喜怒哀楽は付き物で、喜と楽だけのドラマは何の感動も呼ばないのだ。山あり、谷ありのストーリー展開が快楽を生み出すという構造は、起承転結という物語の作り方そのものから、既に始まっているのである。

 ドラマだけではない。人々が安楽を求めるのではなく、快楽を求めるのだということは芸術全般に共通する原理である。

「芸術は爆発だ」というセリフで有名な芸術家岡本太郎は、「芸術は、きれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない」と言っている。きれいなもの、うまいものというのは、工芸品やお土産品としては良いかもしれない。しかし、そうしたものは人々に深い感動を与えない。芸術とは、まず常識を裏切るものでなければならないのだ。

 岡本太郎はこうも言っている。「芸術作品というのは、見た人がなんだこれはと思うものでなければならない。ところが、見た後にどうも気になって仕方がない。それが芸術なのだ」と。

 人の心を捉えて離さないのは、安楽ではなく、不快を伴った快楽であるという事実は、音楽、デザイン、生け花、舞踏など全ての芸術活動に共通してみられる現象である。人間がいかに快楽を追求する存在であるかということを証明していると言えよう。

 

快楽が備える二つの特徴

 さて、以上で述べてきた快楽は、二つの重要な特徴を持っている。一つは、快楽が快楽を呼ぶという特徴であり、もう一つは常識から離れたところに快楽は存在しないということである。

 快楽が快楽を呼ぶという特徴は、心理学ではソルテッド・ナッツ・シンドロームと呼ばれている。塩でまぶしたナッツ。まったく手を出さなければ、食べなくてもどうということはないのだが、一旦食べ始めたら、後を引いてどうにも止まらないという経験は誰にでもあるだろう。私はこの現象を「かっぱえびせん症候群」と名付けており、その方が日本人には分かりやすいと思うのだが、今のところ誰もこの呼び方を使ってくれないため、以下では正式なソルテッド・ナッツ・シンドロームという言葉を使用する。

 呼び方はともかく、このソルテッド・ナッツ・シンドロームは、我々の生活のあらゆる場面にみられる現象だ。パチンコ屋に入る前は千円だけやろうと思っている。ところがいざパチンコを始めるとどうにも止まらなくなって、最後の百円玉まで使い果たしてしまう。さらには消費者金融でキャッシングまでしてつぎ込む場合も多い。だから消費者金融のベストの立地は、パチンコ屋のすぐそばなのだそうだ。パチンコの平均客単価は八千円だという。しかし、パチンコ屋に入る前から八千円も使おうなどと考えている人はほとんどいないであろう。

 恋愛も同じだ。悪女に出会わなければ、平穏無事な生活を続けられた人が、悪女に夢中になるにつれて、仕事も家庭もぼろぼろになるまで入れ込んでしまう。適当なところでセーブすればよいのになと傍目には思うのだが、決して途中で止めることなどできないのだ。

 ダイエット中のお菓子、禁煙中のタバコ、受験勉強中のテレビなど、ちょっとだけならいいだろうというのが、結局行くところまで行ってしまうという例はいくらでも挙げることができる。

 そしてシトフスキーによれば、このソルテッド・ナッツ・シンドロームが現れるのは、人間に限ったことではないのだそうだ。

 ゴールに食べ物を配した迷路に空腹のネズミを入れる。当然、ネズミはまっしぐらにゴールを目指す。ところが、より空腹感の強いはずの何も与えないネズミよりも、スタート時に少しだけエサを与えたネズミの方が、確実にゴールまでのタイムは短くなるのだそうだ。

 このソルテッド・ナッツ・シンドロームは、経済学に困難な問題を突きつける。なぜなら、現在の経済学は限界効用が逓減するという法則をすべての前提として組み立てられているからだ。限界効用が逓減するというのは、例えば一杯目のビールはおいしいが、二杯目はそれほどでもなくなり、三杯目はもっとおいしくなくなるという現象である。この法則は、ある程度の消費量に達した段階からは真実だろう。先のネズミの実験でも、スタート時点で腹一杯にエサを与えてしまったネズミは、決して走らないと思われる。

 しかし、ある種類の行動、あるいは消費量の少ない早い段階では、必ずしも限界効用逓減の法則が働かず、むしろ行動が次の行動を逆に強める効果を持っているのだ。このことには、重要な意味がある。なぜなら、極端な行動に走った人が、なぜ適当なところで止められなかったのかという質問に明快な回答を与えるからだ。その答えは、そうすることが快楽だからなのである。

 快楽に関する第二の重要な特徴は、常識から離れたところに快楽は存在しないということである。これまでに、快楽を得るためには不快が必要だと何度も指摘してきた。しかし、その不快は常識の範囲を少しだけはずれたところになければならないのだ。

 涼しい部屋で冷えたビールを飲むときにも、その前に体験する暑さは熱射病で倒れてしまうほどの暑さであってはならない。ジェットコースターで快感を得るためには、けがをしたり失禁してしまったりするほどの恐怖を味わってはならないのだ。

 そのことは、笑いの快感でも同じである。先に紹介した『池田の猪買い』では、猪が本当に新しいのかを聞かれた猟師が、銃の台尻で猪と突くと、猪が起きあがってトコトコ歩き始めるというのが落ちだった。銃で撃った猪が歩き始めるわけはない。その意味でこの結末は常識外なのだが、かと言って絶対にそんなことが起こり得ない話かというと、そんなこともないのである。これは常識を少しはずれた非常識なのだ。

 この落ちが、非常識とも言えないくらい常識からかけ離れたものだったらどうだろう。例えば、猟師に銃で突かれた猪が、「アイテテ」と突然立ち上がり、「私がいつ撃たれかかですって?そんなことが知りたいんだったら、その現場をみてみましょう」と狙撃現場のVTRを再生しはじめるというストーリー展開だったらどうだろう。この話の展開が完全に常識外であることは間違いない。しかし、この落ちで落語の聞き手が笑うだろうか。笑うはずはない。それは、いくら常識外といっても、これでは決して起こり得ない空想の話だとはっきり分かってしまうからだ。

 そもそも人間は新奇性を追い求める存在である、と同時に保守的な存在でもある。自分の体験に基づいた価値観の世界でしか物事を判断できない。だから、そこから離れすぎているものには、何ら積極的な評価を与えられないのだ。

 シトフスキーの紹介する心理学者の実験にこんなものがある。

 

 数人の幼児に五つの玩具を与えて慣れ親しませた後、それぞれ五つの玩具を一組とする五組の玩具グループのなかから一組を選ばせた。第一の玩具グループは五つの慣れ親しんだ玩具から、第二グループは四つの慣れ親しんだ玩具と一つの未知の玩具から、同様にして第五グループは五つの未知の玩具からなっていた。第一および第五グループを選んだ幼児はほとんどおらず、大部分は慣れ親しんだものと未知のものとを混ぜ合わせてあるグループを好んで選択した。このような行動は、この実験に使われた十個の玩具を予めみせておかなかった幼児が示した行動とは明らかに違うものだった。動物を使った同様の実験によってもほぼ同様の結果が得られた。(シトフスキー前掲書)

 

 幼児の段階から、人間は新奇なものに心を惹かれながらも、片足は慣れ親しんだ世界に置いておきたいのだ。逆に、そうした安定部分がないと、新奇なものは単なる不気味なものになってしまう。

 今ではキュビズムの世界を切り拓いた画期的な作品と評されるピカソの「アビニョンの娘たち」。この作品が発表されたときに、評論家や周囲の画家の評価は惨憺たるものだったという。「あれは単なる漫画だ」。「ピカソは狂ってしまったのではないか」。

 時代の半歩先を歩く人は賞賛を浴びるが、時代を一歩も二歩もリードする人は、往々にして非難しか浴びないのだ。むろん、キュビズムが美術界のトレンドとなっていくことからも分かるように、キュビズムの世界を理解した芸術家たちも当時から存在していた。新奇なものが、賞賛を浴びるか、非難の対象になるのかの分かれ目は、評価する側の受容力にかかっているのだ。

 もっともバブルに関しては、実際に投機に走るのは一般民衆であるから、あまりにこれまでの常識と離れるものは受け入れられない。むしろ、常識に近い新奇性ほど人々を虜にするのである。

 ガルブレイスが主張したバブルに共通する第二の特徴、「一見新奇にみえながら、その実旧来のものと何も変わらない金融商品の登場」は、実はこの「常識から離れたところに快楽は存在しない」という原則をしっかりと踏まえたものだったのである。