経済社会学#5 遅れてやってきた日本の新自由主義
1. 新自由主義者とは何か
平等主義かつ平和主義 対 市場原理主義かつ主戦論
平等主義 市場原理主義
平和主義 主戦論
2. 日本の政治はどう変わってきたのか
岸 信介 1957-1960 ●(安部晋三の母方の祖父)
池田勇人 1960-1964 ▲
佐藤栄作 1964-1972 ★
田中角栄 1972-1974 ★
三木武夫 1974-1976 ■
福田赳夫 1976-1978 ●(福田康夫の父)
大平正芳 1978-1980 ▲
鈴木善幸 1980-1982 ▲
中曽根康弘 1982-1987 ◎
竹下 登 1987-1989 ★
宇野宗佑 1989-1989 ◎
海部俊樹 1989-1991 ■
宮沢喜一 1991-1993 ▲
細川護煕 1993-1994 日本新党
羽田 孜 1994-1994 ★新生党(旧田中派)
村山富一 1994-1996 社会党
橋本龍太郎 1996-1998 ★
小渕恵三 1998-2000 ★
森 喜郎 2000-2001 ●
小泉純一郎 2001-2006 ●
安部晋三 2006-2007 ●
福田康夫 2007-2008 ●
麻生太郎 2008-2009
鳩山由紀夫 2009-2010
菅 直人 2010-2011
野田佳彦 2011-2012
安倍晋三 2012- ●
池田→前尾→大平→鈴木→宮沢→加藤→古賀派 ▲
佐藤→田中→竹下→小渕→橋本→津島派 ★
岸→福田→安倍→三塚→森→町村派 ●
三木→河本→高村派 ■
河野→中曽根→渡辺→江藤・亀井→伊吹派 ◎
3. 田中角栄は何を考えたのか
日本列島改造論(1972年)
日本列島の改造こそは今後の内政の一番重要な課題である。私は産業と文化と自然が融和した地域社会を全国土に押し広め、全ての地域の人々が自分たちの郷里に誇りを持って生活できる日本社会の実現に全力を傾けたい
かつて工場ひとつない寒村だった滋賀県の栗東町は、名神高速道路ができたおかげで200以上の工場が進出し、新興工業地区へと一変した。それまでは農業中心の都市で、工業といえば食品、衣服、繊維関係の工場しかなかった愛知県小牧市は、名神、東名両高速道路のおかげで工業都市、流通基地としてにわかに脚光を浴びるようになった。東名高速道路ができてから東京に入ってくる九州産の豚の量が2〜3倍に増えた。輸送時間が約4分の1となったおかげで子豚の輸送疲れが少なくなり、トラック1台あたり20万円は余計に儲かるようになった。大阪の青物市場では季節になると東名、名神を突走って福島県岩瀬村のきゅうり、茨城県のピーマン、埼玉県の長十郎梨などさまざまな商品が出回るようになった。
高速道路ができればできるほど市場が広がる半面、産地どうしの競争も激しくなる。それは貿易の自由化と同じことで、日本経済全体からみれば、適地適産がすすみ、価格が平準化し、生産は合理化する。
→東京一極集中、箱もの行政、利権、癒着、腐敗、組織ぐるみ選挙
田中語録
「俺の目標は、年寄りも孫も一緒に、楽しく暮らせる世の中をつくることなんだ」
1972年9月 北京訪問 日中国交正常化
1974年11月 ロッキード事件を国会で追及され、12月9日に内閣総辞職