経済社会学b 第2回 日本の金融資本主義
1.突きつけられた「不良債権処理」
2001年9月25日、小泉首相がホワイトハウスにブッシュ大統領を訪問
2001年末 上場来安値69円のダイエーの処理を否定
2002年2月27日 総合デフレ対策
2002年4月12日 特別検査で34社を破綻懸念先へと転落させる
2002年5月31日 ワールドカップの開幕日に、米国の格付け会社ムーディーズが
日本国債の格付けを2段階引き下げてA2とする。
2002年9月10日 小泉首相は同時多発テロ1周年を受けて訪問したニューヨークの
外交問題評議会の席で、不良債権処理に関して次のように語った。
「企業倒産が起こり、デフレが進み、失業者が出るという批判がある一方、倒産、失業者の存在を恐れずどんどん進めろという批判がある。1年数ヶ月首相をやって分かってきた。専門家の意見を聞けば聞くほど全く違ったことを言う。最終的に決めるのは自分しかない。覚悟して不良債権処理を加速させなければならないというのが今の私の認識だ」。
2002年10月30日 金融再生プログラム
2.なぜアメリカは不良債権の処理を要求するのか
@アメリカの苦境
A長銀の経験 1998.3.政府は1766億円の公的資金を日本長期信用銀行に投入。
1998.9.長銀が特別公的管理の申請。破たん処理に3兆7033億円の税金。
10億円でリップル・ウッド社売却される。その後1200億円の資本投入。
新生銀行公開時の時価は1兆円を超える。
瑕疵担保条項:長銀の貸出債権のうち、金融再生委員会が健全と判断した貸出債権の評価額が、3年以内に2割以上減価した場合は、簿価で預金保険機構が買い取るという条項。2000.6..そごう破綻、新生銀行は割り当てられた970億円の債権放棄を拒否。2000億円の貸出債権全体の買い取りを国に求めた。
3「.逆バブル」の発生
(参考)BIS規制
銀行の自己資本比率に関する規制、「自己資本の測定と基準に関する国際的統一化」(バーゼル合意、いわゆるBIS基準、BIS規制)は、1980年代に金融自由化を進めた米国で、1984年に大手銀行であったコンチネンタル・イリノイ銀行が破綻し、この影響が国際的な銀行間取引を通じて海外にも波及しそうになったことの反省から生まれた。1988年にバーゼル銀行監督委員会が公表した。
国際業務をしている銀行に対して信用秩序維持のため守るべき基準、BIS基準とは、自己資本比率が8%を超えない銀行は、国際業務を禁じるというBISでの取り決めである。自己資本比率は、金融機関の事業法人の財務分析で用いられるものと異なる定義であり、自己資本を分子とし、分母はリスクアセット(資産の種別・リスクによって、加重平均された資産項目)で与えられる比率となっている。
BIS規制は、国際的に業務展開をする銀行の健全性を保つために適用されるルールである。自己資本比率の遵守状況は、各国の監督当局の手に委ねられる。日本の場合、金融庁発足以前は日本銀行がその役割を担っており、現在では主に金融庁がBIS規制の遵守状況を監督している。
BIS規制と日本のバブル景気後の銀行
日本では1988年度から移行措置が適用されたものの、1992年度末から本格適用されることになっていたため、(結果的に)バブル景気が崩壊した直後となった。
株の持ち合いの慣習を背景に、欧米の銀行と比較して自己資本に占める株式の割合の大きい日本の銀行は、保有株式の下落による含み損を抱えた上に株価の値下がりで基準達成に厳しい努力を強いられたが、達成期限の1993年(平成5年)度3月期末決算までに、必要な銀行はすべてクリアした。
この規制により、邦銀の中には、国際業務から撤退し日本国内の業務に限るところも現れた。なお、日本では国内業務に特化する銀行に対しては、4%の自己資本比率を確保することが求められており、4%を割り込んだ銀行に対しては金融庁によって、早期是正措置が発動される。
(出所)ウィキペディア
(1)大手30社問題の登場
2001.6.12. 自民党の経済産業部会でKPMGフィナンシャル代表の木村剛氏が、「緊急経済対策と不良債権問題」と題した資料を配布。「緊急経済対策の死角」のなかに問題企業29社のリストが含まれていた。
木村剛氏の主張:
インフレターゲットの導入は効果がないし、仮に具体的なインフレターゲットを定めて、無理な量的金融緩和を行うと、高いインフレが日本にもたらされる。いったんインフレに火がつくとそれを抑制するのは容易でなく、ハイパーインフレになってしまう。インフレで利益を得るのは金持ちだけで、一般庶民はインフレほどには賃金が上がらないため、インフレで国民生活が破壊されてしまう。 日本経済が低迷している最大の原因は、不良債権問題である。パイプのなかに不良債権というゴミがつまっていることが、日本経済の効率的な資源配分を妨げている。このゴミを取り除かない限り、日本経済の再生はない。不良債権の問題は、流通、建設、不動産という特定業種で膨大な過剰債務を抱える大手三十社の問題だ。そこで塩漬けになっている資金が、成長産業に回って行かないことが、日本の成長を阻害しているのだ。 現在、銀行は大手三十社にリスクに見合った引当金を積んでいない。不良債権処理の方法で、融資先企業との関係を断ち切る直接償却と引当金を積む間接償却の区分けは意味がない。銀行が、経営実態を適切に表す決算をしていないことが、問題なのである。また、銀行が破たんする原因となるのは、大口の融資先が破たんしたときで、中小の破たんが重なって破たんすることはない。だから不良債権問題の核心である問題企業三〇社に対して銀行が十分な引当金を積むことができれば、不良債権問題に縛られて低迷してきた日本経済は復活の道を歩むことができるようになる。 |
2001.9.7. 平沼経済産業相と木村氏は官邸に入って、木村プランを首相に開陳。
2001.9.18. 首相官邸に、木村剛氏と樋口廣太郎内閣特別顧問、森昭治金融庁長官の三人。
2001.9.25. 同時多発テロ事件を受けて小泉首相ホワイトハウス訪問。
2001.9.28. 金融庁が10月中に要注意先に分類されている大手問題企業向け融資について
特別検査を行い、それにもとづいて銀行に引当金を上積みするよう求める。
(2)木村プランのもたらすもの
@引き当ての融資態度への影響〜猛烈な貸し渋り
Aデフレが続く限り、不良債権問題は解決しない〜間接償却と直接償却
B大手30社は6分の1。2001.9.29.日本経済新聞「大手30社の抱える債務は24兆円。 民主党の質問に金融庁が回答した2000.9月期の問題企業への融資総額150兆円。
→30社という対象そのものに意味があると考えるべき
C大手30社のうち営業赤字、経常赤字の企業は3社のみ
(3)雑誌論座での論争
木村剛「見当違いの陰謀史観にはあきれるばかり 森永卓郎さん、政策を語りなさい 徹底反論 実現可能性を欠くインフレターゲッティング論はその場凌ぎの『経済評論』にすぎない」2003.3.
「私は、『大口貸出先区分』を新設して、対象先を明示しない中で、十分な引当金を積み上げながら、銀行サイドからコントロールしつつ不良債権処理を進めるというスタンスを当初より貫いている」、
『キャピタル・フライト 円が日本を見棄てる』では「大口貸出先に対しては個別管理をさせ、不良債権の程度に応じて各銀行に個別引き当てを十分に積むことを強制する。特に大手三十社」
金融検査マニュアル「個別貸倒引当金および直接償却については破綻懸念先、実質破綻先、および破綻先に対する債権について、原則として個別債務者ごとに予想損失額を算定し、予想損失額に相当する額を貸倒引当金として計上するか、または直接償却を行う」と書いてある。(破綻懸念先以下に債権を分類しないかぎり個別引当金は積めない。)
(4)木村氏の表舞台への登場と金融再生プログラム
2002年9月末の内閣改造で、柳沢伯夫・前金融相が解任、竹中平蔵・経済財政担当相の金融相兼任。竹中大臣は、ただちに「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」を発足させ、そのメンバーとして木村剛氏を登用→竹中・木村ショックの発生。
2002.10.30.「金融再生プログラム」― 主要行の不良債権問題解決を通じた経済再生 ―
@不良債権の査定を米国式のディスカウント・キャッシュ・フロー法の採用
A中小企業融資を減らさないような厳格な監視体制を実施する。貸し渋りホットライン。
B貸出資産の査定を厳格化して、個別引当金を積む。
C主要行の経営を取り巻く不確実性が大きいことを認識し、翌年度を超える将来時点の課
税所得を見積もることが非常に難しいことを理解した上で、外部監査人に厳正な監査を
求めるとともに、主要行の繰延税金資産が厳正に計上されているかを厳しく検査する
D特別支援「個別金融機関が経営難や資本不足もしくはそれに類似した状況に陥った場合、 特別支援の枠組みを即時適用。(a)日銀特融による流動性対策、(b)預金保険法に基づく公
的資金の投入、(c)検査官の常駐的派遣、(d) 経営者責任の明確化、(e)金融問題タスクフ
ォースによる事業計画をチェック、履行状況をモニタリング
F平成16年度末までの不良債権の半減
→金融再生プログラムの目的は、大銀行の国家管理(金融問題タスクフォースの管理下に置くか国有化する)と問題企業の処理という二つを目的にしているとしか考えられない。
(参考資料)森永卓郎「日本経済暗黙の共謀者」講談社プラスα新書
日本振興銀行の沿革
2002年 木村剛が金融庁金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム(通称竹中チーム)のメンバーとなり、同時に金融庁の顧問を務めた。
2003年2月12日、東京青年会議所(東京JC)が第一ホテル東京で開催した例会で、パネリスト木村剛が「20億円集めれば銀行をすぐに作れる。」と発言したことをきっかけに、東京JC入会希望者として出席していた消費者金融の資金元である卸金融を手がけていたノンバンク「オレガ」の落合伸治が20億円用意し、木村にアドバイスを受け「中小新興企業融資企画株式会社」を設立して銀行設立準備に入った。
2003年8月20日 銀行免許の予備申請
2003年10月31日 予備申請認可
2004年3月15日 金融庁に対し本免許申請。29日後の4月13日に交付される。所管する金融担当大臣は木村剛と昵懇にしている竹中平蔵。
2004年4月21日 開業
設立資金20億円出資者の設立発起人で社長に就任していた落合は、木村や平を含む役員らに銀行役員を解任された。
2005年1月1日 木村剛が社長に就任
2006年1月1日 木村剛会長の親族会社に対する不明朗な融資を『朝日新聞』(朝日新聞社)が報道
2008年3月 営業利益、経常利益が黒字化
2008年9月 SFCG(旧商工ファンド)より多額の貸付債権の二重譲渡を受けていたことが判明
2010年4月30日 金融庁より銀行法に基づく報告命令を受ける
2010年5月10日 木村剛、取締役会長を辞任
2010年7月14日 西野、専務の山口博之と関本信洋、および木村ら元役員2名の計5名が、銀行法第63条違反(第25条に基づく検査の忌避)容疑で逮捕
2010年7月14日 西野らを解任し、後任として同じく旧DKB出身で社外取締役の小畠晴喜取締役会議長が代表執行役社長に就任
2010年7月31日 社外取締役の赤坂俊哉(弁護士、当時51歳)が東京都目黒区の自宅で死亡。銀行側は「死因は心筋梗塞である」と主張、警察当局の自殺とする発表に真っ向から対立。
2010年9月10日 金融庁に対して預金保険法に基づく破綻処理の申出を行い、引き続いて行った東京地方裁判所に対する民事再生手続開始の申立て等により、破綻処理が開始される。
2011年4月25日 第二日本承継銀行に一部事業と26店舗(本店を含む)を譲渡。当社本店窓口は、事業譲渡対象分にかかわる部分については第二日本承継銀行神田営業部となったが、対象外の業務を手がける唯一の拠点として存続。
2011年8月23日 SFCGの信用状況を適切に把握する義務を怠り資産を流出させたとして整理回収機構から、木村が会長当時の経営陣7人(のちに社長となった小畠を含む)に対し、50億円の損害賠償を求める民事訴訟を提起される
2011年9月30日 - 預金保険機構はイオン銀行が日本振興銀行および第二日本承継銀行の受け皿に決まったと発表。
2010年7月に、検査妨害の疑いで元役員が逮捕されたこともあり、定期預金の引き出しが続き、資産状況が悪化。9月の中間決算で1804億円の債務超過となる見込みとなったことから、9月10日午前6時から臨時取締役会を開催し、内閣総理大臣(金融庁)に対して預金保険法第74条第5項に該当する金融整理管財人による管理が必要な事態である旨の申し出を行うことを決議した。これを受けて同日、申し出を行い、金融庁が同行に対して金融整理管財人による業務財産管理命令、預金保険機構を金融整理管財人に選任、3日間の業務停止命令を出した[2]。振興銀は、同日中に東京地方裁判所に民事再生手続開始の申立てを行い、設立から6年余りで経営破綻した。日本の銀行破綻としては、創業前の2003年11月末に生じた足利銀行以降、およそ6年10ヶ月ぶりであった。
政府と預金保険機構は、預金保険法に基づき、預金の払い戻し保証額を元本1000万円とその利子までとする定額保護、いわゆる「ペイオフ」を1971年の制度創設後初めて発動。振興銀はペイオフを意識した預金の募集を行っており、5800億円程の預金のほとんどがペイオフ限度以下の預金で、該当するのは3560人の100億円程度、預金者全体の約3%にとどまる見通しである。当局者は預金保険制度を悪用したモラル・ハザードであると問題視していた。その一方で、老後のマンション購入資金の貯蓄用途にと4000万円余りを預金し、破綻翌日に店舗に出向き、報道機関の取材を受けた個人も存在していた。
第二日本承継銀行は同日、合併の基本合意を締結し、破綻から8ヵ月後を目処に事業譲渡を行うこととした。当面は金融整理管財人の元で営業を続け新規の預金及び自動継続を受け付けるが利子は主要金融機関の利子を参考にしたものを適用し、保護対象の既存の預金に関しては事業譲渡以前に満期が来るものについては満期利率および中途解約利率がそのまま適用され、満期が事業譲渡以降になるものに関しては事業譲渡の際に同意書が送られ同意するものに付いては事業譲渡以前までの利率とその後定められる満期利率が適用され、同意しない旨を伝えられた預金については、約定利率を破綻日まで適用した利息が払い戻される。
当時の金融担当大臣・竹中平蔵は本件についての取材拒否を声明しているが、自見庄三郎・担当大臣は「道義的責任は免れない」と評している。2011年8月には、行政の対応が適切だったかを検証する第三者委員会「日本振興銀行に対する行政対応等検証委員会」が、“銀行免許を付与すべきではなかった”とする報告書をまとめた。
2010年12月7日に概算払の払い戻し率が決定され保護対象外の預金額のうち25%の金額が払い戻されることとなった。債権回収の結果、概算払い以上の金額が回収された場合は清算払として追加して戻って来ることになっている。
日本振興銀行役員責任追及訴訟について 2011年8月23日 株式会社整理回収機構
第1 検討の概要
整理回収機構は、2011年4月25日に日本振興銀行株式会社の損害賠償債権の
譲渡を受け、役員の責任について検討を行ってきた。現在までの検討の結果、損害賠
償請求事件1件及びこれに付随する詐害行為取消請求事件について提訴すべきとの
結論に達したので、本日、提訴を行った。以下に案件の概要を説明する。
第2 提訴案件の概要−損害賠償請求訴訟
1 概 要
本件は、2010年9月に破綻した日本振興銀行の旧取締役の責任を問う訴訟である。
日本振興銀行は、2007年12月から2009年1月までの1年余の間に、貸金業者である株式会社SFCG(以下「SFCG」という。)から同社の連帯保証付きで貸付債権の額面買取りを17回にわたって行った。これらの債権買取りは、SFCGから高利で借り入れざるを得ない債務者に対する債権を買い取るのであるから、不履行となるリスクが高く、額面どおりの価値がないことは明らかである。したがって、形式的には債権買取りであるが、実質的にはSFCGに対する信用供与(債権譲渡担保による融資)であり、1回目の債権買取り(160億円)から銀行法13条に定める大口信用供与規制に違反する金額となっていた。特に、2008年10月以降は、債権買取りの回数及び金額が急増し、最終的な債権買取額は、17回で合計1705億円にも達した。これらの債権買取りが日本振興銀行の破綻の大きな原因となった。
本件訴訟では、このうち、買取債権の内容の悪化とSFCGに返済能力がないことが明らかとなった2008年10月以降の債権買取りを問題とし、@同年10月28日の取締役会における290億円の債権買取りの承認(10月29日に実行)と、A同年11月17日の取締役会における170億円の債権買取りの承認(11月21日に実行)について、決裁した被告らの責任(会社法423条1項)を問うものである。
2 請求の趣旨
(1)被告
日本振興銀行の取締役として取締役会において上記2回の買取を決裁した下記7名
現在の年齢
取締役 木村 剛(きむら たけし) 49歳
取締役 上村昌史(かみむら まさし) 55歳
取締役 山口博之(やまぐち ひろゆき) 50歳
取締役 関本信洋(せきもと のぶひろ) 39歳
社外取締役 小畠晴喜(こはた はるき) 57歳
社外取締役 平 将明(たいら まさあき) 44歳
社外取締役 森重 榮(もりしげ さかえ) 65歳
(2)請求の趣旨
被告らに対し連帯して金50億円を請求。
3 違法行為
(1)2008年10月28日の取締役会における290億円の債権買取りの承認(10月29日に実行。総額289億9945万9951円)
(2)同年11月17日の取締役会における170億円の債権買取りの承認(11月21日に実行。総額169億9989万0092円)
4 責任
本件は、合計460億円もの商工ローン債権(貸出利率が利息制限法を超過する債権を10月買取では2割、11月買取では8割も含むもの)について、額面での債権買取りを承認した被告らの決裁責任を問うものである。
実質は債権譲渡担保による融資であるが、法形式は債権譲受としてなされ、事務手数
料等を差し引いた代金額が送金されている。融資の形式を避けたのは、大口信用供与規
制(銀行法13条)に正面から違反することを恐れたためである。被告らの責任の骨子は、「日本振興銀行に、額面相当の価値のないことが明らかな債権を額面で大量に買わせたことは、取締役としての任務を懈怠したものであり、会社法423条1項の責任を負う。」というものである。任務懈怠の内容は次の通りである。
(1)大口信用供与規制に実質的に違反する信用供与
2008年10月当時の大口信用供与規制限度額は、41億3825万円であったところ、10月買取実行時のSFCGの保証債務残高(融資残高に相当)は、647億4000万円、11月買取実行時のSFCGの保証債務残高は、670億4400万円であり、この限度額を遙かに超えている。被告らは、上記各買取りがSFCGに対する信用供与の実質を有すること、買取額が大口信用供与規制限度額を超えていることを認識し、又は極めて容易に認識しえたにもかかわらず、上記各買取りを承認し、もって任務を怠ったものである。
(2)安全性の原則違反
被告らは、本件債権譲受の決裁にあたり、取締役会資料の記載から、@本件SFCGからの譲受債権が、銀行からの借り入れが不能な商工ローンの債務者に対する債権であって、かつ貸出利率が利息制限法を超過する債権が多くを占めること、Aそれまでに買い受けた商工ローン債権に延滞等が発生し、10月買取時点では170億円、11月買取時点では125億円も買い戻しをさせる予定であること、B保証人とされているSFCGの資金繰りが悪化し、大幅な担保不足を生じていることを認識し、または、極めて容易に認識しえたにも関わらず、漫然と簿価による債権譲受を承認し、もって、任務を怠ったものである。
なお、被告らのうち、被告木村及び同関本は、単に取締役会で債権買取りを決裁しただけではなく、大口信用供与規制限度額を超える額であることを明確に意識しながら、SFCGからの債権買取りの方針を立てて主導した者である。
(3)社外取締役の責任
被告小畠、同平及び同森重は、社外取締役として、日本振興銀行と責任限定契約を締結しているが、上述したように、被告ら全員に悪意又は重大な過失があるから、責任限定契約の適用はない(会社法427条1項)。
5 損害
損害は、本件の買取りにより、日本振興銀行から流失した額であり、これは10月融資の外部流失額 125億9794万3414円、11月融資の外部流失額 50億5996万2747円、合計 176億5790万6161円である。
回収された額は損害の填補となるが、これまでの現実の回収額は多目に見ても27億円を超えない。今後の多少の回収を考えても約149.6億円の損害が残る。訴訟では、損害の内金として 50億円を請求する。
第3 詐害行為取消請求
被告木村が、2010年5月から同年11月にかけて,近親者らとの間で、近親者の所有する日本振興銀行株式を買い取って1億6250万円を支払ったり、金銭の贈与をしたりした行為を詐害行為(責任財産を減少させ債権者を害する行為)として取り消し、それぞれの金額の支払いを求めるものである。
以上
2015/08/15 ビジネスジャーナル
2010年に経営破綻した日本振興銀行から損害賠償請求権を譲り受けた整理回収機構が、木村剛元会長ら旧経営陣7人に50億円の賠償を求めた裁判で、社外取締役だった作家の江上剛(本名・小畠晴喜)氏ら3人の和解が7月16日、東京地裁で成立した。
ほかに和解したのは、自民党の平将明衆院議員と公認会計士の森重榮氏。3人は社外取締役としての責任遂行が不十分だったことを認め、連帯して6000万円を支払うことになった。元取締役2人はすでに訴訟が終結しており、木村氏ら2人は係争中だ。
2010/7/19記述
日本振興銀行事件の本質
7月14日に日本振興銀行前会長の木村剛容疑者ら5人が逮捕された。今年3月まで8ヶ月にわたって行われた金融庁の立ち入り検査の際に、違法性の高い取引に関する業務メールを削除して隠蔽したとして、検査忌避の疑いが持たれている。日本振興銀行は「木村銀行」と呼ばれるほど、木村容疑者が絶対的権力者として君臨してきた。逮捕された前社長の西野達也容疑者も「木村前会長に業務メールの削除を指示され、やむを得なかった」と罪を認める供述をしているという。
昨年6月16日の金融庁による検査開始直前に、日本振興銀行は、検査への対応を協議するための会議を開いた。木村容疑者が「都合の悪いメールは消せ」と指示し、削除されたメールは280通とも、700通以上とも言われている。
問題は削除されたメールの内容だ。同行は、2008年末頃に、破綻したSFCG(旧商工ファンド)に売り戻し条件を付けて債権を買い取るという実質的な融資を行っているが、その際の手数料が出資法の定める上限金利の29.2%をはるかに上回る45.7%だった。削除されたメールは、その取引に関するものだった。日本振興銀行は法律違反の「高利貸し」をしていたことになるが、実はもう一種類削除されたメールがある。「中小企業振興ネットワーク」関連のメールだ。中小企業振興ネットワークというのは、日本振興銀行の融資先を中心に百数十社が参加する中小企業間の「互恵互栄」を図るための任意団体だ。木村前会長が主導して設立し、同氏が理事長を務めている。
しかし、この中小企業振興ネットワークは、単なる親睦団体ではない。このネットワークこそが、木村帝国の主要な基盤なのだ。
ネットワークの中心になっているのは、「中小企業○○機構」という名前が付けられた数十社の会社で、一部の企業には日本振興銀行から役員が派遣されている。ところが、これらの会社の実態は、どれもコンサルティング業務のようだ。それでは一体何をしているのか。
ある振興銀行の関連企業は、昨年の冬、振興銀行の融資先が保有するビルに本社を移転するように木村容疑者から強要されたという。そうした取引に代表されるように、ネットワーク企業相互で取引させることによって資金の外部流出を防ぎ、業績を高めていったのだ。銀行が融資先の取引自体をコントロールするのは、優越的地位の濫用だが、それだけではない。
銀行には1つの企業グループに融資できるのは自己資本の一定比率までという大口融資規制がかけられている。日本振興銀行は、その大口融資規制を逃れるために、会員企業を通じて迂回融資をしていた疑惑がある。また、融資の焦げ付きそうな企業に対して、別の会員企業を経由して資金を供給する迂回融資が行われていた可能性もある。さらには会員企業への融資の一部で日本振興銀行の株を買わせる「見せかけ増資」があったのではないかとの指摘もある。要は、ネットワークが不正融資の温床になっていた可能性が高いのだ。
竹中平蔵大臣の時代、木村容疑者は金融庁顧問として金融改革を主導した。その功績のためか、木村氏が立ち上げた日本振興銀行は8ヶ月という異例の短期間で開業の認可を得た。しかし、今回の事件をみると、竹中金融改革の正当性自体に疑問符がつく。真相解明は警察の手にかかっている。
2010/9/14記述
竹中金融改革を問い直せ
9月10日、日本振興銀行が自力再建を断念し、金融庁に破綻申請した。金融庁は業務停止命令を出し、破綻処理に入った。
驚いたのは、明らかにされた6月末の資産内容だった。債務超過額は1870億円、自己資本比率はマイナス44・43%に達していたのだ。今年3月の決算では株主資本が270億円あり、自己資本比率は7.76%だった。わずか3ヶ月で、突然2140億円ものお金が消えるはずがないから、3月決算はとんでもない粉飾決算だったということになる。
その粉飾の手口も驚くべきものだった。資金運用先の拡大に迫られていた振興銀行は、系列のノンバンクへの貸し出しを拡大した。ところが、そのノンバンクもリスクの高い高利融資をしていたから、融資がこげ付く。ノンバンクは担保を処分しても、融資の全額を回収できない。そこで競売にかけた担保物件を競落ビークルと呼ばれるダミー会社が高値で落札して、こげ付きを防いだのだ。もちろんダミー会社が資金を持っているはずがないから、資金は日本振興銀行が融資する。つまり、不良債権を、事実上の追い貸しをすることで覆い隠してきたのだ。そうしたマネーゲームの果てに1870億円もの債務超過を積み上げたのだ。
日本振興銀行の破綻で、初めてペイオフが発動され、1000万円を超える元本の預金は、一部がカットされることになったが、ペイオフの対象になる預金は、全預金者の2.7%に当たる3423人が持ち、預金残高5820億円のうち110億円に過ぎないことが明らかになった。つまり預金者の自己責任で穴埋めされるのは、カット率が30%としても33億円程度で、預金保険から1000億円以上が預金者保護のために支払われる可能性が高い。
ただ、元本1000万円を超える預金者が2.7%しかいなかったということは、日本振興銀行が「1000万円までなら全額保護されます」とPRして、1000万円以下の預金を積極的に集めたことの影響が大きい。極端に言えば、マネーゲームのツケを預金保険機構に回すことを予め意図していたとも言えるのだ。
日本振興銀行の最大の破綻原因は、「10〜15%という高い金利でも資金を欲しがる中小企業はたくさんいるから、十分な審査を行えばミドルリスク・ミドルリターンの融資を行う銀行業務は可能だ」という事業コンセプトそのものが間違っていたということだ。ゼロとは言わないが、2桁の金利で事業資金を借りて、事業が回る中小企業はほとんど存在しなかったのだ。
自見庄三郎金融担当大臣は、「設立当時の金融担当大臣(竹中平蔵氏)の道義的責任は免れない」とコメントしたが、その通りだ。
日本振興銀行は、2003年に申請から3ヶ月という異例の短期間で設立が認められた。だが、そのとき実質的創始者である木村剛氏が経営するコンサルタント会社が、振興銀の設立準備会社社長から、新銀行設立手続きに関するアドバイスの依頼を受け、「コンサル料」として1億円を受け取っている。そのとき木村氏は、金融庁顧問をしていたのだから、竹中氏と木村氏が二人三脚で作り上げた銀行と言っても過言ではないのだ。
この問題に関して、竹中氏はマスコミに口を閉ざしているが、大きな国民負担が生じたのだから、明確な説明をすべきだろう。
2010/12/14記述
国民負担は4000億以上
銀行法違反で逮捕・起訴されていた日本振興銀行の元会長木村剛被告が、12月8日に、約5カ月ぶりに保釈された。翌日、記者会見した木村被告は、「預金者や取引先などに多大な迷惑をおかけした」と陳謝するとともに、起訴内容をおおむね認める方針であることを明らかにした。だが、「難しいマーケットではあるが、理念については間違っていなかったと思う」と述べて、日本振興銀行のビジネスモデル自体は正しかったと主張したのだ。
果たして、それは正しいのか。実は、木村被告が保釈される日の前日、預金保険機構が「日本振興銀行の預等党債権の買い取りにすいて」という文書を公表した。振興銀行の破綻に際しては、日本で初めてペイオフが適用されることになった。元利1000万円を超える部分については、預金がカットされることになったのだが、預金保険機構がそのカット率を発表したのだ。カット率は、75%だった。例えば、3000万円を預けていた預金者がいたとする。全額保護の1000万円を、2000万円超過している。この部分については75%カットされ、戻ってくるのは500万円だけ。つまり、この預金者は振興銀行に預けていたために1500万円の損失が出るということになるのだ。
それにしても、銀行が破綻して75%もの預金がカットされるというのは尋常ではない。一体何が起こったのか。
預金保険機構によると、75%カットの根拠はこうだ。日本振興銀行を清算するとき、銀行が抱えている負債は、預金残高の5800億円を含む8900億円だ。それに対して、資産は2200億円しかない。つまり、お金を返そうにも、25%分しか資産が残っていないから、75%カットをせざるを得ないというのだ。ただし、元利合計1000万円までの預金は、預金保険で保護することになっているから、預金保険機構が、この75%カットの分を支払いますということになるのだが、その負担はどれくらいになるのか。
振興銀行破綻時に、元利1000万円以上の預金者は、預金者12万人のうち2.7%を占める3423人に過ぎなかった。従って、金額でみても、預金保険の保護対象とならない預金は全体の5%程度だろう。
そうすると、預金保険機構は95%の預金に対して、カットされる75%分を補填しなければならなくなる。預金全体が5800億円だから、預金保険から支払われるのは、4133億円ということになるのだ。
もちろん税金が投入されるわけではない。しかし、預金保険機構が支払うお金の原資は、預金にかかっている預金保険料だ。つまり、我々の受け取る利息がその分だけ自動的に下がっているのだから、実質的には国民負担と同じだ。この負担がいかに重いかは、3歳未満に子ども手当を7000円上積みするのに必要な財源は2400億円だ。それだけで政界は大騒ぎしているのに、それよりはるかに大きな国民負担が降りかかってくるというのに、なぜこれを問題にしないのか。
しかも、75%カットの根拠を詳しくみると、さらにおかしなことが続出する。例えば、振興銀行の平成22年3月期決算をみると、貸出金は4220億円もあった。ところが、預金保険機構の破綻後の査定では、貸出金の価値は600億円に過ぎないのだ。融資した資金の86%が焦げつくということは、通常では考えられないことだから、とんでもない乱脈融資が行われていて、なおかつそれを画すために粉飾決算を行っていたとしか考えられない。
さらに預金保険機構の示した振興銀行の負債のなかには、3100億円ものその他負債がある。そして、その説明には「二重譲渡・過払に起因して発生する可能性のある不当利得返還債務等」とある。振興銀行は、経営破綻したSFCG(旧商工ローン)から1000億円を超える債権を買い取っている。ところが、これがとんだ食わせもので、振興銀行が買ったつもりだった債権のかなりの部分が、すでに他の銀行等に譲渡されたものだったのだ。だから、振興銀行が債権を回収しても、それは他人のものなのだから、回収したお金を本来の債権の持ち主に返却しないといけない。そうした負債が、3100億円もあるというのだ。
ここまでの乱脈経営をしておいて、理念が正しいわけがない。自見金融相は、検証委員会の設置を表明したが、戦後最大の金融疑獄の実態を徹底究明すべきだ。