経済社会学b 第7回 真のIT革命の成果とは

 

1.1990年代後半からのIT革命論

 

(1)eコマースの行方(eエコノミーの衝撃)

   N2の法則

   (a)BtoC、(b)BtoB、(c)CtoC

 

 eコマースの行方    N2の法則:N・(N−1)/2

           企業数:167万、世帯数:4411

 

(2)スタンダードを制するとタダになる

   ネスケ、IE、ブリタニカ、駅すぱーと、プロバイダー

 

(3)中抜きは起こるのか

 

2.IT革命は雇用にどのような影響をもたらすのか

 

 (1)短期はマイナス、中長期はITビジネスの創出にかかる

 (2)ホワイトカラーの仕事がデジタル化される

 (3)組織はフラット化されるが、中間管理職は不要になるのか

   必要なのは中抜きではなく「上抜き」

 

 

高付加価値

 

参考1.森永卓郎『日本経済暗黙の共謀者』2001.12.

 

一八世紀にイギリスで始まった産業革命は、機械工業への産業技術転換によって大量生産を可能とし、工業製品の広範な普及と都市労働者階級を形成することによって、国民生活を革命的に変化させた。農村社会から工業社会への変貌である。それと同様の劇的変化が、インターネットを中核とする情報技術の登場によってもたらされると言われたのである。

 新しい革命的技術の登場によって、すでにアメリカ経済が繁栄をきわめている。だから、それに追いつけるように日本の経済構造を改革していかなければならない。それが多くの経済評論家や御用学者のご託宣だった。

 しかし、本当にITは新しいモノなのか。そうではない。情報産業が日本経済の牽引役になると最初に指摘したのは、今から三〇年以上も前の通産省のビジョンだった。

 長期の通商産業政策の方向性を明らかにするために、通産省は一九六〇年から一〇年おきに「通商産業ビジョン」を発表している。第一回の「六〇年代通商産業政策ビジョン」では、日本の産業構造をどのように誘導していくべきかについて、所得弾力性基準と生産性上昇基準という二つの基準を採用した。所得弾力性基準とは、国民の所得水準が増大した時に、需要の伸長が大きい産業を育成していこうという基準である。つまり国民が豊かになることによって、ニーズが高まっていく産業を優先的に振興しようという需要側の要請である。一方、生産性上昇基準とは、生産性上昇の可能性が大きく、国際競争の中で強い優位性を確保できる産業を育成していこうという基準である。こちらは言ってみれば、外貨を稼げるような強い産業を育成していこうという供給側の要請である。この二つの基準を同時に満たす産業として「六〇年代ビジョン」が選んだのが、それまでの軽工業に代わる重化学工業であった。重化学工業化の産業政策は大きな成功を収め、日本経済は高度経済成長を達成するとともに、日本の産業競争力は欧米諸国と肩を並べ、さらには一九六〇年にほどんど家庭に普及していなかった家電製品が、わずか一〇年ほどで広く行き渡るという形で国民生活も圧倒的に豊かになった。

 この六〇年代ビジョンの大成功に続いた第二回の通商産業政策ビジョンが、一九七〇年に発表された「一九七〇年代の通商産業政策ビジョン」であった。七〇年代ビジョンは、六〇年代ビジョンが重点化産業の選択に採用した所得弾力性基準と生産性上昇基準という二つの基準に、さらに二つの基準を付け加えている。過密・環境基準と勤労内容基準である。

 過密・環境基準は、単に省スペース、省資源、省エネルギーや公害の少ない産業というだけではなく、過密や環境問題の改善に積極的に寄与しうる産業を中心にしていこうという基準である。

 勤労内容基準の方は、工場のラインで直接製造に携わるようなある意味で単調な働き方よりも、安全で快適で充実感のある仕事を提供できる産業を選択しようという基準である。

 重化学工業化の成功で豊かさを実現した結果、通商産業政策ビジョンは、経済成長のための要請だけではなく、環境問題や勤労者の生き甲斐にまで踏み込んで、新たな産業構造を模索したのである。ビジョンは次のように述べている。

「重化学工業化の基準とされた所得弾力性基準および生産性上昇率基準についてみるに、五〇年代、六〇年代の経済環境においては、概して両基準が相互補完的ないし相乗的な関係に立っていた。これに対し、上記の四つの基準についてみるに、各基準の充足が、時として、相互にトレード・オフ関係に立つものと考えられる。したがって、七〇年代の産業構造ビジョンは、これらの基準から、単純に、機械的に導き出されるものではなく、日本経済をめぐる四囲の条件や国民の欲求の変化、多様化等に関する十分な認識に基づき、基準充足の優先度についての判断を加えつつ、最適ビジョンを構想することが必要とされよう」。

 四つの基準の微妙なバランスをどう取っていけばよいのか、慎重に検討がなされた結果、七〇年代ビジョンが出した答えは、「知識集約化」だった。モノ作り中心の経済から、知的活動の集約度が高い産業を中核にした経済への転換を行う。それだけではなく、既存産業のなかでも知識集約度を高めていくことが望ましいとされたのである。言葉づかいこそ違うが、これは現在言われている「情報化」そのものである。そのことは、ビジョンに記載された知識集約産業の主要類型と類型毎に示された高成長が期待される産業をみると、一層明らかになる。少し長いが、七〇年代ビジョンを引用しよう。

 

 知識集約産業構造の中核をなす知識集約産業は、具体的にいかなるものであろうか。また、これらの産業は、在来型の重化学工業に代わって、七〇年代の日本経済の発展を十分に主導しうるであろうか。

 先にも述べたように、現段階において、未来の知識集約産業を具体的に予断することは避けるべきであるが、他面、それについてのある程度の予測を行うことは、知識集約型産業構造というビジョンの可否を考えるためにも必要な手順と言えよう。

 このような観点から、現段階における一つの予測として、知識集約産業の主要な類型および各類型毎に七〇年代において特に高い成長を期待しうる産業を例示してみよう。

@研究開発集約産業

 その産業の活動において、研究開発部門の比重が質的、量的に大であり、研究開発の成果いかんが、その産業の発展にとって決定的な役割を果たすような産業として、次の諸産業を考えることができる。

 電子計算機、航空機、電気自動車、産業ロボット、原子力関連、集積回路、ファイン・ケミカル、新規合成化学、新金属、特殊陶磁器、海洋開発など。

A高度組立産業

 製品が多数の部品部材の複雑な組み合わせから成り立っているため、製品の製造過程において、高度な技術および技能に依存することが大きい産業としては、次のような諸産業があげられるであろう。

 通信機械、事務機械、数値制御工作機械、公害防止機器、家庭用大型冷房器具、教育機器、工業生産住宅、自動倉庫、大型建設機械、高級ブランドなど。

Bファッション型産業

 製品に対する高度、多様な消費者の欲求を充足するために、その商品の開発または製造の過程において、デザイン、考案、配色等の創出が決定的な役割を果たすような産業として、次の諸産業を考えることができる。

 高級衣類、高級家具、住宅用調度品、電気音響器具、電子楽器など。

C知識産業

 経済社会全般において生じている知識、情報の効用および需要の増大に応じて、知識情報を生産し、提供する産業として、次の諸産業を考えることができる。

 情報処理サービス、情報提供サービス、ビデオ産業等教育関連、ソフトウェア、システムエンジニアリング、コンサルティングなど。

 

 繰り返しになるが、これは三〇年以上前に書かれた文章である。それにもかかわらず、主力産業に、電子計算機、電気自動車、産業ロボット、集積回路、通信機械、自動倉庫、情報処理サービス、情報提供サービス、ソフトウェア、システムエンジニアリングなど、IT革命の主役がすでに主力産業として位置づけられているのだ。しかも七〇年代ビジョンには、これらの産業は七〇年代に忽然と現れたのではなく、重化学工業化の進展の過程ですでに出現あるいは離陸しはじめた産業であると述べられている。

 しかも七〇年代ビジョンは、これらの産業への産業構造転換は基本的に市場原理を活用すべきであること、しかし新規産業の成長や衰退産業の転換、先行投資による動態的資源配分のプロセスは市場原理だけでは十分ではないので、新規産業支援や資本・労働の円滑な転換促進を政府が行わなければならないとしている。

 この文章をいま政府の報告書にそのまま転載したとしても、多くの人は何の違和感も感じないだろう。経済戦略会議やIT戦略会議をはじめとする経済構造改革派が主張したことは、すでに三〇年前のビジョンに書かれていたのだ。

 同時に、より重要なことは、まだ高度経済成長真っ盛りの日本ですでに「次は情報化」という宣言を通産省がしていたということなのである。

 もちろん、この一九七〇年代ビジョンがたまたま先見性に優れていて、その結果、情報産業を主力産業として位置づけたというわけではない。

 続く一九八〇年代ビジョンでは、エネルギー問題や貿易摩擦といった新たな成長制約が登場するなかで、@エネルギー制約の打開、A生活の質的向上及び地域社会の充実、B産業の創造的知識集約化の推進、C次世代技術革新への挑戦、という四つの技術開発課題を掲げている。

 そのなかで「産業の創造的知識集約化の技術開発」については以下のように述べられている。

 

 産業の知識集約化は、技術開発によって支えられる。創造性をはっ辞して、既存産業を一層高度化し、新たな産業分野を開拓するため技術開発努力の積み重ねが要請される。

 八〇年代においては、以下の二つの方向が中心となる。

(1)システム化技術とソフト化技術

 わが国の産業技術は、多くの分野でかなりの程度成熟化が進んでいるものの、今後は、多様な機器やプロセスの組み合わせによって新機能を付与するシステム化技術、及びハードウェアに、利用技術、デザイン、サービスといったソフトウェアを体化していくソフト化技術の重要性はさらに高まっていく。

 システム化技術については、現在のように生産活動が巨大化しているなかでは、個々の工程の効率性とともに、全体を一つの大きなシステムとして把握し、その効率性を考えることが求められている。また、異業種間の連携によってもたらされる新しいシステムの誕生は、飛躍的な効率の向上と、新しい製品、サービスの出現を促す可能性が大きい。

 ソフト化技術は、マイクロコンピュータを機器、プロセスに組み込み、知能化することに代表される。超LSIの出現は、コストの低減、小型化を通じてマイクロコンピュータの利用を一層容易にする。マイクロコンピュータを生産プロセスに応用することにより、センサー技術の進歩ともあわせて産業用ロボットが知能化され、無人化工場の実現も可能となる。これにより、@多品種少量生産、A省資源、省エネルギー化、B品質の均質化、C労働環境の改善などがもたらされる。また、機器への応用により、機能の多様化、高度化が可能になる。

 ソフト化技術とシステム化技術はそれぞれ単独に発展するものではなく、両者が相互補完的に発展していくものと考えられる。

(2)新たな科学知識に基づく技術

@アモルファス材料、光ファイバー、ニューセラミックス、高機能性樹脂、複合材料、極限材料などの新材料

Aレーザー利用技術

B超LSI、センサー

Cパターン認識、人工知能などの高度なソフトウェア

といった技術の開発が必要である。

 

 マイクロコンピュータや超LSIという言葉が登場していることが時代の流れを反映しているが、言っていることは七〇年代ビジョンとまったく同じである。情報化の技術は、システム化技術とソフト化技術という二つに分けられているが、この二つの技術をまとめたのが現在のIT(情報技術)である。

 しかも情報化が飛躍的な効率向上と新しい製品・サービスの出現を促すとしている点も、今のIT革命論とまったく同じだ。そして、これが今から二〇年も前に書かれた文章なのである。

 ついでなので、九〇年代ビジョンで情報化がどのように取り上げられているのかもみてみよう。 九〇年代ビジョンの主たるテーマは、経済成長をしたのに生活の豊かさが感じられないという「豊かさのパラドクス」をいかに解くかということだった。九〇年代ビジョンは、総論のなかの「情報化の推進」と題したところで次のように述べている。

 

 九〇年代は、情報化の急速な進展が見込まれ、内外ともに広範な分野において革新的な影響をもたらすことになろう。

 情報化は、国民生活の向上、労働時間の短縮や労働環境の改善、地域の振興、政治や安全保障、さらには教育や文化の変革等々に加え、新たな財・サービスの提供、生産活動・企業間取引の合理化や新しい産業分野の開拓といった産業活動の面でとりわけ大きな変化をもたらすと見られる。

 情報化は、情報処理と通信のそれぞれの分野での技術進歩が相互に作用しながら融合していく中で発展するものである。と同時に、経済社会のニーズと相互に作用しながら活力に富む情報化が発展していくものである。

 このような情報化の進展のためには、情報ネットワークとデータベースに代表される、いわゆる情報インフラストラクチャの先行的整備が不可欠である。情報インフラストラクチャは九〇年代から二一世紀にかけての経済社会の基礎をなすものである。また、これと併せて、現在未整備の状況にある電子取引上のルール等のソフトなインフラストラクチャ整備も重要である。

 これらと同時に重要な課題は、情報インフラストラクチャの質の向上のための不断の研究開発とそれを使いこなすための社会全体の情報化対応能力の増進である。このためには、個人にとって使いやすく、全体に受け入れられやすい情報技術・情報システムについてハード・ソフトの両面から技術開発に取り組み、その普及に努めるとともに、大規模、複雑なソフトウェアの開発力の強化に資する情報サービス産業の高度化や人材の育成、さらには、社会全体にわたる情報化教育・訓練等総合的な対策を講ずることが重要である。

 また、これまでの情報処理は、論理的・逐次的情報処理をベースとしているため、厳密であるが、柔軟性に欠けるというきらいがあり、人間のような多種多様な情報を基にした総合的判断は困難であった。二一世紀に向けて、真の情報化社会の実現のためには、これまでの情報処理技術を補完する、より人間に近い情報処理技術の実現が期待される。

 一方情報化は、測りしれないプラスと同時に、対応を誤ると少なからぬマイナスを生む危険性もある。情報化が生み出す地域間、業種間、規模間等の新たな格差やプライバシーの保護、セキュリティ対策テクノストレスの増大等情報化特有の問題について考慮する必要がある。

 なお、我が国の場合、以心伝心という言葉に象徴されるように、文字、記号にのらないコミュニケーションを尊ぶメンタリティーがあり、これが情報化の障害とならないよう留意する必要があるだろう。

 

 言っていること自体は七〇年代ビジョン、八〇年代ビジョン大きく変わらないが、ネットワークや電子取引という言葉が出てきていて、いまのIT革命論に一層近づいている。

 この文章の「情報化」という言葉を「IT革命」に置き換えるだけで、この文章がIT戦略会議の報告書だと言ったしても、多くの人がそれを信じてしまうだろう。それほど、いまのIT革命理論は、一〇年前の通産ビジョンから抜け出していないのである。と言うより、情報化の流れというのはこの三〇年間、一貫して続いているトレンドだということなのである。

 それだけではない。今のITと同じように、情報化は今まで何度もブームを起こしている。例えば一九八〇年代前半、マイクロエレクトロニクス革命という言葉が世界中を駆け巡った。OECDやILOで、マイクロエレクトロニクスの雇用に与える影響が議論され、日本では一九八二年に政労使と有識者を加えた雇用問題政策会議が「ME化対応五原則」をまとめた。

 また、日本の労働省も一九八四年に「技術革新と労働の実態(ME編)」、翌年には「技術革新と労働の実態(OA編)」という比較的大がかりな調査をとりまとめている。

 当時のマイクロエレクトロニクス革命は、FA(ファクトリーオートメーション)化とOA化(オフィスオートメーション)という二つの要素で構成されていたが、最初に問題になったのがFA化の影響だった。工場にNC工作機械や産業用ロボットという情報技術を活用した生産資本が盛んに導入されたことで、モノ作りの現場から人が消えてしまうのではないかと真剣に心配されたのである。

 それまでも様々な自動化技術が存在したが、FA機器は技能労働者が誇ってきた知恵や巧の技まで代替してしまう。NC工作機械や産業用ロボットは操作さえ覚えてしまえば、一年目のオペレータでも経験数十年のベテランと全く同じ品質の製品を製造することができるのだ。だから一部の現場労働者は反発し、まるでラッダイト運動のようにFA機器が悪者になったこともあった。もちろん、製造現場の省力化の進展が爆発的な生産性上昇をもたらし、マーケットの爆発的な上昇をもたらすと予測した人もいた。

 それでは、実際に何が起こったのか。製造業の就業者数が全体に占める比率は、FA機器が盛んに導入された一九八〇年代を通じて、ほとんど変化しなかったのである。一九九〇年代にはいってその比率は下がってきているが、これは中国などに生産拠点が移転していく空洞化の影響が現れたためで、FA化の影響ではない。

 一方、八〇年代後半には、マイクロエレクトロニクス革命はOA(オフィスオートメーション)化に広がっていった。パソコンやオフコン(オフィスコンピュータ)が事務労働者の仕事を奪うのではないかと考えられたのである。

 そこで同じように「労働力調査」で、事務職の就業者数がどのように変化してきたのか見てみよう。こちらは最近になるまで、一貫して事務就業者の構成比は高まり続けている。パソコンは全体としてみれば事務労働者の仕事を奪わなかったのである。

 このように、マイクロエレクトロニクス革命は、確かに世の中に変化を引き起こしたが、それは過去からずっと続いてきた変化を継続させるだけで、決して革命の名に値する非連続の変化を引き起こした訳ではなかったのである。

 それなのに、これまで「情報化」は何度もブームを演出してきた。例えば八〇年代後半のVAN(付加価値通信網)のブームである。小売店に専用端末を設置し、どの商品がどんな時間帯にどれだけ売れたのか、様々な販売情報が通信回線を介して、卸、メーカーへと毎日送られる。そのデータに基づいて自動発注が行われるから、小売店にとっては発注や在庫管理の手間が省けるし、卸にとっては在庫の圧縮が可能になる。メーカーにとっても刻々と変わる需要の変化が手に取るように分かるから、計画的で無駄のない生産が可能になるという仕掛けだ。このシステムで最も有名になったのが一九八二年にPOSシステムを導入したセブンイレブンである。

 また、メーカーの側からみても、トヨタは八〇年代半ばには、カンバン方式の電子化を実現している。カンバン方式は、最終的な車種別生産量に必要な部品を必要なタイミングで、必要な量だけ調達していく生産方式である。言い方を変えれば、部品在庫を持たずに、売れた分だけ生産するという方式だ。トヨタは、もともと生産車にカンバンをつけて行っていたものを、コンピュータによる自動システムに置き換え、一九八九年にはビジネスモデル特許の申請を始めている。

 勘のよい方ならお気づきと思うが、IT革命の本命として喧伝されているサプライチェーン・マネジメントは、このVANそのものなのである。

 VANによる受発注システムは、ジャストインタイムといって、部品を工場で使用する直前に納入させたり、販売する商品を多頻度少量配達させる必要があるため、配送トラックの排気ガスによる環境問題が指摘されたり、部品工場に事故が生じた場合に部品の供給切れから生産システム全体がストップしてしまうリスクが指摘されたりしたが、在庫コストの削減効果は大きく、大手企業のいくつかには普及して行った。

 しかしVANがほとんどの小売店に普及して行ったかというと、決してそうではなかった。メーカーによる系列支配の強いところや大規模な小売店だけがVANの対象となったのである。その理由はやはりコストであった。

 経済産業省の「商業統計表」(平成一一年)によると、従業員五人以上の小売業の店舗数は全体の二九%だが、小売売上額の八二%を占めている。つまり、三割の大手小売店だけ通信網に戴せておけば、販売額の八割をカバーすることができるのだから、卸やメーカーにとって十分だったし、それがコストを考えたときの普及の限界だったのである。

 IT革命でパソコンが爆発的に普及し、インターネット経由の接続で通信料金が低減することによって、このVANが系列枠を乗り越え、零細小売店も含めて拡大して行く可能性がでてくる、それがサプライ・チェーンマネジメントが唯一VANと異なる点である。

 しかも注意しておかなければならないことは、すでに十分なメリットが見込まれる分野ではVANの導入が終わっているため、今後サプライチェーン・マネジメントの普及でカバーされるのは、数は多いが収益性の低いところばかりで、メーカーや卸にとって手間ばかりかかって、儲けの薄いところばかりになるということなのである。

 

失敗に終わったSIS

 VANが企業間システムのエースであったとしたら、一九八〇年代後半の企業内システムのエースは、戦略的情報システム(SIS)の構築であった。一九七〇年代の情報システムは、本当に生産性向上の裏付けのあるものばかりであった。例えば銀行の情報システムを考えると分かりやすいかもしれない。

 銀行にキャッシュディスペンサーやATMが普及する前は、銀行に預金通帳とはんこを持って出掛けなければならなかった。それがキャッシュカード一枚持って行けばどの支店でも簡単に入出金ができるようになった。

 利用者が便利になったと同時に、それは銀行にとっても大きな生産性の向上策につながった。なにしろ、いままでどんな小口の顧客でもいちいち窓口で相手をしなければならなかったのが、小口の顧客は基本的に機械が相手をしてくれるようになったからである。このため窓口で札勘定をしているような行員は大幅に削減されたのである。

 こうした銀行の勘定系システムに代表される「実利ある」システム化は、基本的には一九七〇年代でその基盤を整えたといってよい。

 しかし、そこでシステム開発は終了しなかった。「これまでのような単純な計算や集計といった単純計算をコンピュータへ置き換えるのではなく、もっと経営戦略に必要な情報を提供する情報システム、あるいは新しいマーケット開拓に資するような情報システムの構築が必要である]とするのが戦略的情報システムの考え方だった。銀行のシステムであれば、金融市場の情報から、顧客情報、さらには行員の人事情報まで統合管理し、経営判断の支援と事務処理を抜本的に効率化しようというのが、その目的だった。

 しか、多くの企業でその取り組みは失敗した。なぜなら、何でもかんでも情報システムに載せればうまく行くというのは幻想だったからである。

 例えば人事情報をすべてコンピュータのデータベースに入れて、適材適所の人事発令を自動化しようとするシステムがあった。しかし、現実の人事異動は理屈どおりにはいかない。家族の事情でどうしても転勤できない人がいたり、いろいろな筋から横槍が入ったりで、現実の人事異動はドロドロの戦いになってしまうのだ。結局、導入した人事システムが使われるのは、辞令をプリントするときの単なるワープロ・フォーマットに過ぎなくなったりするのである。

 マーケティングのためのシステムも同じだ。いくら詳細に顧客情報を分析したところで、これから売れる商品が予測できるわけではないし、ましてや新商品のアイデアが生まれるわけではない。結局データ入力や分析の手間ばかりかかって、何ら生産性向上に結び付かない情報システムが大量生産されるようになったというのが、一九八〇年代の特徴だったのである。

 

「中抜き」は起こるのか

  IT革命論者たちが、eコマースの最大の効果としてあげるのが、「中抜き」効果である。インターネットで取引を行えば、世界中の消費者がメーカーとダイレクトに結ばれる。しかも、情報は即時に伝達され、取引コストもゼロだから、これまでのように卸売業者や小売業者の手を通すよりもはるかに効率的な取引が可能になる。したがって、これまで右から左に商品を流すだけで高い報酬を得ていた卸売や小売業はインターネットにその座を奪われ、世の中の取引の主流派はネットに移る、というのが典型的な中抜き論である。

 この暴力的な議論は、世の中の支持をかなり受けているようで、日本の株式市場ではかなりの成長率と収益性を誇る卸売企業に信じられないような安い株価がつけられている。

 しかし、ネットが普及しても卸売業が衰退するということは、一般的にはないのである。それは、流通はかならずその背後に物流を伴っているからである。

 例えばスーパーマーケットでトイレットペーハーを二九八円で買うとする。これをネット取引でメーカーから直接買うことができたとしよう。メーカーではこの商品を一九八円で出荷していたとする。消費者がネット注文で、この商品を買うとどうなるか。トイレットペーパー自体は一九八円でも、送料が五〇〇円も六〇〇円もかかって、結局ものすごく高いトイレットペーパーを買わなくてはいけなくなるのだ。

 だったら小売店がそれぞれメーカーにネット注文をだせばよい。そうすれば、卸売業者のマージン分だけでも安くなるはずだ、と思われるかもしれない。しかし、それも駄目なのである。その理由は三つある。

 第一は物流コストの問題である。モノを運ぶときの運賃というのは、距離が同じなら、キログラムあたりいくらというより、輸送一回あたりいくらという形で決まる。一〇〇グラムのものを一個運ぶのも、百個まとめて運ぶのもほとんどコストは変わらないのだ。

 問題を単純化するために、メーカーが関東に一社、小売店が九州に百社存在したとしよう。もし小売店がネット注文で、直接メーカーから商品を取り寄せたとしたら、それぞれの店の小売店が関東から九州までの運賃を負担しなければならない。ところが、九州に卸売業者が一社あるだけで、その卸売業者が一〇〇個の商品をまとめて仕入れることができるようになるので、関東から九州間の運賃が百分の一に下がる。もちろん卸売業者から小売業者に配達する必要があるが、そのコストは地域内だからそれほど大きくない。従って、一般的に小売店が直接メーカーから仕入れるよりも、卸売業者を通じた方がコストは下がるのである。

 卸売業者を経由した方が有利になる第二の理由は、バーゲニングパワーである。およそ商業の競争力というのは、いかに大量に買えるかで決まる。同じものを買うなら、一つを買うよりも百個買う方が確実に安いのだ。ネット取引が市場競争を激化させ、モノの値段を引き下げる効果があるのは事実だが、そんなものなど問題にならないくらい、大量購入を前提にした買い叩きの方が効果がある。残念ながら、ネットの世界でも小さな小売店には卸売業者ほどの力はないのである。

 卸売業者を経由した方が有利になる第三の理由は、卸売業者が持っているリスク負担機能である。卸売業者は、単に右から左へと商品を流しているだけではない。商品を売ったときには、例えば月末締めの翌月末払いという形で小売店への信用供与を行っている。また、商品にもよるが、小売店で売れ残った場合、商品の返品や交換に応じてくれる卸売業者もある。卸売業者のそうしたリスク負担機能があるからこそ、零細な小売店は安心して商売を続けることができるのだ。

 きちんと卸売業者の機能を理解すれば、それがネットなどに置き換えられるはずがないことは明らかである。小売店がインターネットに置き換えられることがないということは、本章の冒頭で述べたとおりである。要するに、中抜き理論そのものが、ビジネスを理解していない学者たちが作り上げた妄想だったのである。

 

参考2.

森永卓郎『週刊東洋経済』2001.8.

ITバブルはなぜ生じたか

 一年前まであれほど盛り上がっていたIT革命の熱狂がすっかり冷めてしまった。アメリカのニューエコノミーをリードすると言われたドットコム企業が次々にリストラや経営破綻に追い込まれ、株価は一年で四分の一以下に下がった。IT依存の成長を続けてきたアメリカ経済の減速は続き、今後かなり長い期間立ち上がることができないだろう。

ITバブルの状況はどうみても1920年代のアメリカと同じだった。第一次世界大戦の戦場にならなかったアメリカは、当時世界の工場としての地位を確保していた。そこに加わったのが、自動車と高速道路によるネットワーク革命だった。新しいネットワークはアメリカ人の生活を根本的に変え、その中心手段である自動車の生産を独占するアメリカの繁栄は永遠に続くと考えられた。今までの常識が通用しない新たな成長ステージはニュー・エラ(新しい時代)と呼ばれ、自動車とは関係のない業種の企業も、〇〇モータースと社名を変更した。

株価は上昇を続け、アメリカ人は繁栄に陶酔した。しかし、空前の好景気も1929年の1024日に破局を迎えた。

ゼネラルモータースの株式に大量の売り注文が入ったのが暴落のきっかけだった。そして期待が剥げ落ちると、自動車の生産はわずか4分の1にまで急減した。その後大掛かりな景気対策が採られたにもかかわらず、自動車産業が回復軌道に乗ったのは、第2次世界大戦で軍需用車両の需要が増えてからだった。

自動車そのものが悪かったわけではない。しかし、バブルの歴史が示すことは、高過ぎる期待の後には長い反動の時代が訪れるということだ。

イギリスで発生した運河バブルや鉄道バブルを振り返ってみても、どうも新しいネットワーク産業というのはバブルを起こしやすいようである。ネットワークはその性格から、多くの人々の生活かかわるため、人々の関心を集めやすいからであろう。

しかし、少なくとも日本では、バブルの原因はそれだけではなかっただろう。私は最大の原因が高度成長期の成功モデルだったのだと思う。

高度成長期の経営者は、新たな成長分野が何になるのかだけに気を払っていればよかった。成長分野に投資していれば確実に利益をあげられたからだ。例えば、テレビが登場するといったら、家電メーカーは各社そろってテレビの生産を行った。それでも、国民が横並びで大量消費をしてくれたから、どの会社の投資も無駄にはならなかった。

ところが高度成長が終わると、新しい成長商品というのは、ほとんど登場しなくなった。いったい何に投資したらよいのか、経営者達は分からなくなっていた。だから新しい成長分野に飢えていたのである。

そこに登場したのがIT革命論だった。第2の産業革命と言われ、ITを活用したビジネスモデルを開発することこそが企業の繁栄を支えると言われた。しかもITビジネスは先手必勝、トップシェアを取らないと黒字にはならないと喧伝された。成長分野に飢えていた経営者が我先にと飛びつかないはずがなかったのである。

しかし、いまになって思うと、随分と乱暴な議論がまかりとおっていたものである。例えばeコマースの中抜き理論だ。インターネットが発達すると、メーカーと消費者が直接結び付くから、仲介を行うだけの卸売業は壊滅すると言われた。しかし、そんなことは起こらなかった。日常生活に必要な大量生産品がネットで取引されることなどほとんどなかったのである。冷静に考えれば、それは当たり前のことである。牛乳やパンや弁当を買うのに、いちいちネットで注文していたら手がかかって仕方ない。スーパーやコンビニで買物したほうがずっと早くて便利だ。それにネットで注文すると、送料や代金の振り込み手数料がかかってしまう。取引コストがなくなるどころか、取引コストが非常に高いのがネット取引なのである。

メーカー側からみれば、一人一人の消費者に直接販売などしていたら、いくら手があっても足りない。それよりも、卸売業者に一括して出荷して、そこから小売店、消費者と商品を流したほうがはるかに効率は高い。だから卸売業が消滅することなどないのである。

部品調達でも同じことが言われた。セットメーカーに商品を納入したい下請業者がネット市場に納入価格を入札する。そうすれば完全競争が働いて、調達コストが大幅に下がるというのだ。

確かにセットメーカーは、ネットの価格情報を丁寧にチェックしている。しかし実際にはその言い値で買うことはない。下請メーターを呼びつけ、机を叩き、怒鳴りつけて、ギリギリの線まで価格を下げさせるのが調達担当者の仕事なのである。ネットは机を叩いたり、怒鳴ったりできないから、調達の中抜きもできないのである。

つまり、ネットはビジネスチャンスを次々に生み出す魔法の杖などでは決してなかったのである。

しかし、私は違った意味でネットは革命を起こすだろうと考えている。それは今までの流通の仕組みでは決してつながることのなかった個人と個人の取引が可能になったことである。

ネットオークションの最大手であるヤフーオークションの年間落札額は1000億円を超えている。大手のドットコム企業が不振にあえぐなか、6畳一間のマニア向けネットビジネスで大金を稼いでいる個人は数多い。

なぜ明暗が分かれているのかと言えば、インターネットのおかげで、これまで掛け声だけで一向に進まなかった消費者の多様化、あるいは個の確立というのが一気に進んできたからではないだろうか。

企業が提供する商品というのは、結局は大量生産品である。大量生産品は取引コストの高いネット取引には向かない。しかも、企業が多様化した消費者のニーズにいちいち応えられるかといえばそれも困難である。消費者の多様化が進めば進むほど、これまで企業が行ってきた多品種少量生産という概念を桁違いに凌駕するほど、消費者の欲しがるものがミクロの世界に分化して行くからだ。

また、マニアにモノを売ろうと思ったら供給者自身がマニアにならなければ、マニアの気持ちは分からない。企業はそれもできないから、多様化した個人にマニアな商品を供給できるのは個人しかないのだ。

ネット社会が本当にもたらすものは企業の凋落と個人の確立なのではないだろうか。

 

第四の産業革命

 いまドイツやアメリカを中心に、「第四の産業革命」が提唱されている。第一の産業革命は蒸気機関、第二の産業革命は電気、第三の産業革命はマイクロエレクトロニクス、そして第四の産業革命はロボットと人工知能によるものだ。この第四の産業革命を制する国が、これからの世界経済を制するとも言われている。

 現在まで続いてきた第三の産業革命は、ME(マイクロエレクトロニクス)革命とも呼ばれ、NC工作機械やマシニングセンタなどのFA(ファクトリーオートメーション)機器、ワープロ、パソコン、コピー機などのOA(オフィスオートメーション)機器が、生産性の向上に大きな役割を果たした。ただ、これまでの第三の産業革命では、機器の操作やメンテナンスを行うために、人間が不可欠の存在だった。第四の産業革命では、人工知能を備えたロボットが、工場全体を管理し、指示を出すことによって、究極の生産性向上がもたらされる。すでに、そうした取り組みはドイツだけでなく、日本でも着々と進んでいる。しかし、私が一番気になっていることは、第四の産業革命が生産工程への適用という面でしか考えられていないことだ。私は第四の産業革命の一番大きな効果は、人工知能を備えたロボットが、商品そのものになることだと思う。

 いまや世帯類型で一番多いのはシングル世帯だ。そのシングルのパートナーとして、人工知能搭載のロボットが活躍するようになるのではないか。すでにフィギュアの造形技術は確立しているし、恋愛シミュレーションゲームで人工知能の技術もかなりのレベルに来ている。そこに人型ロボットの作動技術が加われば、私は数年以内に恋人型ロボットの実現は可能だと思うのだ。